今こそガンダムと戦争を考えよう:番外 〜戦争映画〜
シリーズ最後の今回は戦争映画のお話をさせてください。
ガンダムとは直接関係ありませんので『番外』扱いです。もちろん、ぜひご覧戴きたいオススメ映画です。しかしそれをホンキで解説してるとどうしても口調が変わってしまいます。
お前、ふざけてるだろう、とお叱りを受けそうですが大まじめです。なにせホームページの時代から数えると、まる8年もあの調子でやってるので…どうかお許しください。
と、いうわけで───
シリーズ最後の今回は戦争映画のお話をさせてください。
ガンダムとは直接関係ありませんので『番外』扱いです。もちろん、ぜひご覧戴きたいオススメ映画です。しかしそれをホンキで解説してるとどうしても口調が変わってしまいます。
お前、ふざけてるだろう、とお叱りを受けそうですが大まじめです。なにせホームページの時代から数えると、まる8年もあの調子でやってるので…どうかお許しください。
と、いうわけで───
シリーズタイトル、長くてちゃんと末尾まで表示されないので変えました。
先シーズンに終わった『ガンダム00』そしてその前の平成ガンダムシリーズの先駆けとなった『ガンダムSEED』『ガンダムSEED DISTENY』。
いずれもファーストガンダムの魂を受け継ぐ作品群だと私は思っています。
ファーストガンダムが登場するまでは、子供向けと決めつけられていたテレビアニメで“戦争”を描こうとした作品などありませんでした。
戦うという事は、敵の人間を殺すという事。
しかし、ドラマの進行上どうしても主人公は戦いに慣れてゆく。どの作品も例外なしに。

「戦い」と「恋愛」モノばっかりだなあ
誰かが今のアニメ全般を観てそんなことを仰ってました。もちろん例外もありますが。
でも仕方ないんです。映像作品にするとそれがもっとも面白く作れるんですから。
「戦い」は男性因子を
「恋愛」は女性因子を刺激して観客を呼ぶわけです。
「殺人と戦争は映画だけが為し得る、あってはならないシミュレーション」とは、私の友人がかつて言った言葉。
だけど抗争、紛争…なんと呼ぼうとも、実際に今日もどこかで人は殺し殺されてる。マネゴト、シミュレーションの映画なんかじゃなくて。
そこには殺すか殺されるか、二者択一の赤裸々な現実しか残されていない。

「悲しいけど、これ戦争なのよね」
手前味噌ですが、これから4回にわたって戦争に関してクドクド書いてみようと思います。そしてこれは私の映画ブログ『よろ川長TOMのオススメ座CINEMA』とのコラボ?企画でもあります。

ガンダムが30周年ということで盛り上がっています。
生まれて初めてガンダムを描いてみましたよ。よくこんな複雑なモン、アニメにしましたなあ。あたしゃ二度とゴメンです。途中でイヤになったんで所々ヘンです。すみません。
やはり観るだけがいい。てことでBSで久々に数本観て、あらためて面白い、よくできた作品だと実感しました。
同時にガンプラ、と呼ばれるプラモデルも売れに売れてすでに30年ってことです。ウチにも初期の出来の良くない時代のが未組み立てのままたくさん眠っています。
でも。
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いや、はたして劇場用でもここまで徹底して作り込めるかどうか?
今夏から始まったアニメもなかなか粒ぞろい…というか
私がアニメーターだったら「ゑええええ!? ここまで作り込まんとイカンのDeathか!?」と監督に泣きつきます。
中でもこの『CANAAN カナン』は飛び抜けておっそろしぃグレードの作画パワー。
( ̄ロ ̄lll)// 私ゃ感動する前にスタッフに同情してしまいます。
これはアニメ好きだけでなく、アクション映画好きなら絶対に観ないといけません!!

いやあ、ひさびさに気持ち良く笑いました。
特撮&SFのパロディが矢継ぎ早にぶちかまされるというだけでなく、笑いそのものが上品なのが嬉しかったなあ。
ただまあ、キャラデザインの独特なタッチに馴染むまで半時間以上懸かりましたけど…
『モンスターvsエイリアン』の具体的な魅力や面白さに関しましては『よろ川長TOMのオススメ座CINEMA』で見どころなどをご紹介してますので詳しくはソッチをお読みくださいね。
もちろん例によってネタバレを禁じておりますので事前にお読みくださっても問題ありませんからね。
ところでその『上質な笑い』なんですが。

はっきりいって、かなり小憎たらしいガキです。(-_-;)
んでもってその行動は大人を舐めてます。完全に。しかし実際、実力はすごいもん持ってますよね。やっぱ天才忍者ですわね、青影さんって。
しかもそれを表に出さず、無邪気な子供キャラの皮を被ってるトコなんて、けっこう天然系の腹黒さを秘めてたりして。

(>_<) やられました。完全に欺されました、J・J・エイブラムス監督に。
なにが「僕はトレッキーではない」だ。脳天までドボドボに漬かったトレッキーですやんか。うそつきぃ〜!
あの言葉は言うなれば頑固一徹タイプのトレッキーのために張った“防御スクリーン”だったんですねえ。
それどころか、間違いなくスター・トレックでしたよ。万一、千歩譲って言葉通りに彼がトレッキーでなかったとして、脚本家が濃厚なトレッキーというだけではああは描けません。すべてを指揮する監督が微に入り細に入って知り尽くしてなかったら描けないことだらけ。
むしろ、これまで未解決だった部分を徹底的につじつまを合わせてしまったのには驚くと同時に「よおやってくれた!」と敬服してしまうばかりでした。
…ってことで、今回は『よろ川長TOMのオススメ座CINEMA』と違ってネタバレしておりますゆえ、ご注意くださいませ。
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野暮ったいんだかカッコいいんだか、分別くさい事を言うかと思えば青影と同レベルで言い合いしたり遊んでたり。よく分からない不思議なキャラクターだけど、大好きなおぢさんだった!
しかも一本気で豪快で、もお、たまりませんな、この存在感。いったいこの忍者、年齢いくつの設定だったのかしら。
横鬢に白いメッシュ、♪やさしぃおぢさ〜ん〜、しろーいーかーげー。…少なくともオジイサンじゃない。しかし若白髪の中年というにはムリクリに老けてます。
(^_^;) この人こそ ♪なーぞーのーひーとー、だと思うんですけど。

( ゚∀゚)「オオ、青影。」
(#°ェ°)/「なんじゃい。もうへばったのか。だらしないぞい」
(。・ω・´)。「ちがわぁい。白影さん、オイラ、いーこと思いついたんだ…」
(≧∀≦) ああ、なんてベタな展開なんだろう。ちょっとお茶目なリコーダーのBGMに載せてのイントロはだいたいこんなアットホームな感じで始まるんですよ。
いま、どういうわけか近畿地区では深夜帯に『仮面の忍者 赤影:まんじ党編』の再放送をしてましてねえ。

はい、みなさんこんにちわ。あら、あなた、こんばんわですか…なノリで毎回《映画を楽しむための解説をネタバレ無しで》お届けしている『よろ川長TOMのオススメ座CINEMA』の宣伝ですよ。
タイトルで申し上げているように5月4日は『おしゃれ泥棒』『昼下がりの情事』がNHK-BS2で放映されます。
あら、あなたご覧になったこと無いの?よかったですね、これでご覧になれますよ。まあ、あなた10回も観てるの。なら私の勝ちですね、私今度で20回目。
そんなこんなで『おしゃれ泥棒』の方は『よろ川長TOMのオススメ座CINEMA』の最新記事でチョー詳しく解説しておりますが、こちらでは同ブログの記事を書くにあたってちょっと考えてたことを長々とブツクサさせてくださいね。
いよいよアメリカでは来月8日、日本でも5月29日に公開が決まってこんなポスターがリリース。なんかこれまでの映画のポスターとは一線を画すデザインです。もちろん日本用として今出ている『STAR TREK』の文字だけのよりどんだけゲイジュツ的か。
でも一瞬見ただけではシュールすぎて私は全然違うものに見えてしまいましたよ。
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風邪を引いて一週間。結局治ってない…
結果的に熱風邪から咳風邪へ移行して、しんどいには違いないけど、先週みたいに「ああ、死ぬかも」という危機感はありません。え?「風邪くらいで大げさや」ですか。
たしかにお恥ずかしい話ですけど…
そんなこんなでごろごろしてたら、BSフジで今日、この傑作映画をやってまして。
1997年だったんですねえ、日本での公開は。うーん、もうそんなになるのか…

『アンディ・ラウの三国志』なんて書いてしまうと、まるで60年代のコメディ映画のようですが、大真面目な中国時代劇(“ともやの映画大好きっ”のともやさんによると武侠映画というらしい)ですので誤解なきよう。これで検索した方が早かったんですよ。
ほんとのタイトルは『三国志』、ネットで調べるとサブタイトルとして『龍の復活』てのがついているらしいのですが、公式サイトにはんなことひと言も書いてない。途中で変更されたんでしょうか。
それにしてもこの看板文句の『完全映画化』てのは、やはり『レッドクリフ』みたいにパートに分かれた作品ではないよ、という意味なんでしょうねえ。陳腐なコピーです。
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もお、何度観たことか。でもキチンと観たのは今から20年ほど前、長い時間を経てリバイバル上映された時。3時間半に及ぶ大作がまったく長さを感じさせなかった。終わった時、立ち上がろうとしてお尻の痛さに初めて気がついた。
面白いとか、すごいとか、どんな賛辞も足りないこの映画には、ない要素がない。
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はじめてナウシカを観たのは、もちろんあの宮崎 駿がアニメを作らなくなってしばらくの間不本意ながらも漫画家になってアニメージュで連載し、その人気が沸騰する中その半ばでアニメ化を聞かされて「ついに宮崎 駿復活か!」と息巻いた1984年。
劇場であの久石譲の音楽に乗せられた、“世界を滅ぼした戦争”のタペストリーのオープニングですでに嗚咽するほど涙した私。もちろん、まわりの観客はこれから語られる物語に興味津々で、よもやオープニングで涙ぐむ青年(当時は私も23歳)にさぞやいぶかしんだことでしょう。

うう〜〜〜ん。いろんな意味で唸りっぱなしでした。
そーか、これがスタローンのランボーかあ。
なんでも先日プロモ来日の折りに「俺はまだやるぞ」みたいな事をぶち上げて『最後の戦場』と銘打った日本の配給会社のスタッフたちの無神経を寒からしめたという痛快なエピソードがあったとか。
でも、そんな軽い話題などふっとぶほどのメッセージはあったと思います。
ここからあとは、ネタバレではありませんがこれから食事をされる方や、想像力の旺盛な方には不快な内容かも知れませんのでご注意下さい。
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さあ!ついに出ましたよ、あのシリーズの新作。Appleのトレーラーサイトに登場してました!
おお、土埃でよごれた風貌、ヨレヨレの帽子、変幻自在のムチ!やっぱしハリソン君でないとインディはだめだ!うーん、このドタドタなアクションがB級っぽくてイイ…
───ん、deathが。
(∋д∈;)
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帰りの電車で携帯のニュース配信で知りました。偉大な映画の神様がまたひとり、天に還ってしまわれました。
まあ、ウソみたいなチェーンスモーカーだったし、高齢だったのである程度覚悟はしていましたが、やはり惜しい。ほんとに、まだまだ最後の映画の神様の新作を観たかった…
(TдT)
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…つーてもね、短〜〜いFLASHムービーが貼り付けてあるだけのイージーなもんなんですが。
(* ̄0 ̄*)トレッキーならこれだけで萌えるのよ。
「Space...The Final Frontier....(宇宙。それは人類に残された最後の開拓地である。)」ムービーの最後にあるナレーションはMr.スポックことレナード・ニモイ氏の声ですね〜〜〜〜。
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昨今、オトナの事情でいろいろと問題が浮上するアニメ界ではありますが、とりあえず『のだめカンタービレ』アニメ版は順調に放映してますね。ありがたいことです。
さて、音楽家(またはミュージシャン)が主人公のコミックで、実際に音が出たらどんなだろう、クラシックというものがよく解らない自分でも、はたして本当に聴くだけで感動って与えて貰えるんだろうか?
そう思った作品は過去に何本もありました。
竹宮恵子氏が描いたウィーン少年合唱団をテーマにした作品群や、音楽ではないけど楽曲が重要なファクターを占める、槇村さとる氏の『愛のアランフェス』や『ダンシング・ゼレネーション』その続編『N★Yバード』。
今のジャパニメーションの技術なら、絶対にすごいものができるだろうという代表格ですが。
そんな、音楽…しかもひとりの天才ピアニストの少年が主人公のコミック『ピアノの森』が7月21日から劇場用アニメ映画として全国公開されます。
いや、もちろん私もまだ観てないんですが。
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今年も会社が始まりましたね〜。
仕事はなんともないけど、人間嫌いの私には通勤が苦痛。
(;´д`;)
さて昨晩からレギュラー番組が復活し始めて嬉しい限り。やあっとつまらない正月特番から解放されるのがありがたい。
特にアニメがないと私は文明渇望症で窒息死します。
今年の深夜アニメ放送再開第一番目は
『コードギアス・反逆のルルーシュ』。

これがとにかく面白い。ものすごい。素晴らしいスケール感、人物描写、複雑な相関関係と人間ドラマ。
だって、『極東アジアの中立国家だった日本は世界の大半を制覇した巨大国家ブリタニアに突如制圧され、いまや日本という名前は奪われてイレブンと呼ばれていた』 ですよ!!!
そして主人公ルルーシュは末子とはいえブリタニア王家の正統な王子でありながら、父であり征服者でもある王に疎まれ、虐げられ育った日陰の身。とある事件から不思議な力を手にした彼は今、身分と素顔を隠し、復讐のために巨大国家・ブリタニアを崩壊へと導く黒い天使となる───
お約束の人型兵器が出てくるためにどうしても純系映画ファンになめられがちですが、これだけ見事な社会背景の構築と、キャラクターの描写はなまなかなSF作品ではちょっとやそっとではお目にかかれません。
しかもこれが週イチペースの25分アニメーションで、しかも複雑この上ない絵柄なのに実に安定している。
このものすごさが世界に誇るべきジャパニメーションのソコヂカラなんでしょうねえ。いや、もちろん下請けには中国や韓国を動員しているようなんですが、作画監督がシッカリしていると見えて、外注ならではの悲惨なデッサン狂いにはまだ出くわしていません。
あいにく一本勝負の映画と違って2クール以上の連続ものなのでいまだ未完の途上で、現時点ではどういう終わらせ方をするのか先行きが見えませんので、きちんと物語が終わりを告げ、全体を見廻して一本の作品として私が満足しまくれる内容だったらいずれ遠からず『オススメ座シネマ』に詳しく見どころをご紹介します。
でも、きっとご紹介するに足る作品になりそうですよ…
毎週、鳥肌ものでアッという間の25分ですからね。
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筆者はご存じのようにドリコムブログ上でよろ川長TOMと名乗って『オススメ座シネマ』という映画紹介専門のブログをやってるわけですが、ソッチの記事へ突然『シネマぴあ』編集部って所からコメントがつきました。
「シネマぴあ」では、映画の話題について書かれたおもしろい個人ブログに注目した映画ブログコンテストを行なっております。コンテストへの参加募集は、みんながおもしろいと思うブログを自薦・他薦問わずエントリーしていただく形式をとりました。 同コンテストにおいて、貴方のブログが一次審査を経て、最終審査エントリー候補としてノミネートされましたので、ご連絡申し上げます。
(O.O;)(o。o;)ええ〜〜?最終審査エントリーいいいい?
最初はそういう名前の個人ブログ、またはスパムかと思ったんですが、どうやらホンモノらしい。
先方へ飛んでみると、たしかにシネマぴあ/おもしろ映画ブログコンテストてな事をやってはります。
なるほど、ページをたどってゆくと確かにこれが私のオススメ! いま巷で話題の映画ブログを探せ! 一次審査結果発表ってコンテンツのラストページ(五十音順なので“よ”は後ろの方…)に載っている。
でもまだ懐疑的な筆者。(;´_`;)
だって、主催は『シネマびあ』と書きながら、そのサイトにはピンクキングなんてロゴがっっっっ!
(゚o、゚)…と思ったら、よく見るとPingKing(ピングキング)…(;´д`;)あっ。ピングかあ。ホッ。いや、失礼しました。
で、なんでまた応募もしてないのに…と細かく読んでゆくと、halftribeさんとおっしゃる方がこのピングキングってサイト上で今年の9月に『オススメ座シネマ』を推薦してくださってて、それをシネマぴあ編集部が拾い上げてくれたらしいのです。
このhalftribeさんがどなたなのか判りませんが、この場を借りてお礼申し上げます。
いつもおいで下さってありがとうございます。しかもご推薦まで戴いてしまって感謝です。
m(_"_)m m(_"_)m m(_"_)m m(_"_)m m(_"_)m
まあ、審査基準などを良く読むとエントリーは自薦・他薦関係ないそうで、いちおう応援メッセージのカキコボタンなぞもあるものの無料登録とはいえピングキング・ユーザーにならないと書けないらしいし、結局は審査員さん次第らしいので単に結果待ち、ってことになるんでしょうが…
一応お世話になっている皆さまにご報告、ということで。
下のはバナーなので貼ってコンテストを広く知らしめてちょ、ということなんですが、どうもいまいち垢抜けてないような。
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はい、みなさんこんにちわ。
私は観たい映画は初日に観る主義やったんですよ。それがこの映画に限って、もう今週で終わって次のがかかるというギリギリになってしまったんです。
理由はやはり声の配役。とはいえ、声優と俳優の間に垣根はないはずなんですが、それでも向き不向きはあるはずなんですね。
実際、ハウルの声をSMAPの木村拓哉氏が演ずるに当たっては決定時から公開後まで賛否両論あったし、逆にこの作品をご覧になられた方はまったく意識しなかったことに驚いた、という話も多く聴きました。
実は私もそのひとりになりました。
だから逆にいうと彼ほど独特な存在感を持つ人を起用してまで、あえてリスクをおかす必要があったのかどうかが最後に引っかかるのですが…
それはともかく、この映画がこれからの私にとってかなり影響力を持つに違いない作品であることは間違いないでしょう。
宮崎作品を観て誰もが思い、また公開前から期待することかも知れませんが、やはり“すごい”ということに尽きるんですね。
日本映画が堂々と公開できるようになった韓国でも、公開一週間で『千と千尋の神隠し』の総動員数をかるく越え、韓国で公開された日本映画で最高の入りを記録したといいます。
ベネチアなど欧州の映画祭での賞取りはかないませんでしたが、おそらくこの作品には彼らが期待する“東洋らしさ”などかけらもなかったからだけのことだと思います。
では、なにがすごいのか、なんて今更言う必要もないでしょうから、私がウ〜ンとうなった部分をお話しさせてくださいね。
もともと宮崎作品というか、ハイジのズイヨーエンタープライズ、マルコの日本アニメーション時代から連綿とつづき、いまや“ジブリらしさ”と表現されるものには自然の描写の見事さがありましたが、『ハウル〜』のそれはさらに磨きが掛かっていて、オープニングの画面だけでもうファンにはズッシ〜〜〜ンと来てしまうんですね。
そこへ久石譲氏の音楽がかぶると私はもうダメです。
一瞬にして宮崎ワールドに引きずり込まれているんですね。「ああ、この感じ。これにどっぷり浸かりたくてたまらんかったんや」と気付きます。これって、『ナウシカ』以来そうなんですよね。ナウシカなんて、オープニングのタペストリーでウルルと来てしまったんですから。
風の渡る草原、花畑、雲が霞が流れる山々、どこか懐かしい街並み、得体の知れないメカの数々、愛すべきキャラクターたち。
ましてそこに“宮崎好み”のイタリア大時代的で無骨な戦艦などが出てこようものなら、ニカッと笑っている監督の顔が思い浮かんでしまうほど。
ハウルの城を好奇心のおもむくままに探検するソフィ婆さんは、観るものへの説明を兼ねているとはいえ、宮崎監督、ひいては観客が観てみたい、してみたいことそのまんま。ああ、私も城に乗ってあのデッキに出てみたい。
だけどやはり宮崎演出の真骨頂を観たなあ、と思えるのはオーニソプター(羽ばたき式飛行機)よりも空中浮遊よりも、私にはベーコンエッグなんですね。
今回はLL寸卵をひとりふたつずつ、しかも1cmはあろうかという厚切りベーコンがフライパンで焼けてゆくくだりは、ハリウッドがどんなに予算を掛けてパフォーマンス・ピクチャーを開発しようともできっこない描写。
先に焼いたベーコンは焼けるにつれて色が変わり、縮れもしっかり描かれ、さらに流れ出す油は傾けたフライパンでジュウジュウと泡立つ。
かつて『ラピュタ』でパズーがお弁当に持っていった目玉焼きはしっかり焼いてあり、パズーはぺろりと食べてしまうのですが、今回のは見事に半熟。マルクル少年がかぶりつくと黄身がつぶれて中味が流れ出る。これって、やっぱりなにか前回の目玉焼き描写に対してなにか思うところがあったのではなかろうかとさえ勘ぐってしまうほどの描き込み方。
ベーコンと目玉焼きをあえて分けて焼いているのもなにかコダワリを感じてしまう…男の料理としては、ごっちゃにして焼きそうなものなのに、それもハウル(宮崎)流の美学なのでしょうか。
一方、美しい風景やたんねんに描き込まれたシーンシーンの数々が紡ぎ出すのは、実はとてつもなくシュールな物語。
舞台はどこかは判らないけどヨーロッパ。19世紀っぽいけど、空にはみたことないテクノロジーの飛行物体があたりまえに飛び交う。魔法も存在し、王政がひかれているらしい国はちゃんと栄えているのに、なぜか戦争をしている雰囲気。
やがて誰かわからない敵と戦う、どこの国のか判らない戦艦の戦闘シーンが何度か描かれ、そのうち人々が避難した美しい街は敵からの空襲も受けて燃え上がる無惨なありさまになってゆくのですが、とくに人が傷ついたり死ぬなどというシーンもなく、また攻めてくる敵兵も人間ではないんですね。
だからといってそれを操っているのは果たして敵国なのか、それとも自国の宰相を務める魔法使いなのかもちゃんと説明されていない。
『ナウシカ』では人間という存在そのものが自然という世界を敵に回したための報いと償いの方法を見つけるプロセスが描かれ、『トトロ』では一切の激情を押さえ、あるべき形を示すことで今の人間のあり方に一石を投じ、『ラピュタ』では“未来少年コナン”で描かれたように間違って発展した科学文明崩壊後の贖罪を、『もののけ姫』ではあきらかに驕った人間が自然に対して侵略戦争を仕掛けることに対する行き場のない怒りが描かれていました。
しかし『ハウル』ではリアルな戦闘描写に対して、冷淡なほど客観視した物語にむしろ恐怖を覚えてしまいます。
戦争に出撃する兵士のパレードを祝福し声援を送る市民たち。無惨に破壊されながらも寄港する戦艦。
だけど、熾烈な戦闘の中で観客が見知っているのは巨大な鳥の姿のハウルだけ。一体誰と戦っているのか。誰のために戦うのか。
これは一体どんな話なんだろうか、って考え込んでしまいました。
ハッと思ったのは、これって現実の我々のことなんじゃないだろうか、ということ。
テレビでどこかの国の戦争の話を毎日見聞きしていながら、我々はフツーに生活している。気の毒だとは思っても直接は関係ないからですよね。かつて日本が戦争当事国だった時はよその平和な国の人が新聞とかで同じ事をなにげに感じていたんだろうか、とも思ったり。
そして世界遺産とかでなくても、美しい風景は世界中にいまもある。一方で目を覆いたくなるような惨事もひきをきらずに起こる。無意味な殺人が発生する一方で幸福な結びつきや誕生がある。
そして、それが現実。
一応この物語で唯一の悪役のような魔法使い宰相サリマンが最後に「これでハッピーエンドってわけね。」と言います(ネタバレや〜とおっしゃるかもしれませんが、宮崎作品でハッピーエンド以外はありえないでしょう?)。
でもこれって、まんまアンチテーゼになっているように思えて仕方ない。観た人で“拍子抜けした”とおっしゃった方もおられたようですが、確かに突然のようにすべてが上手くいって終わるんですね。
第一、こんなクサイ第三者的な台詞なんていままで宮崎作品にあったでしょうか。
これがハッピーエンドなんだろうか。そんな単純な物語なのだろうか。ほんとうに監督がそんなつもりで描いたとはどうも思えず、むしろ観客がそのことに疑問を感じるようにわざとあっけなく終わるように作られているように思えてなりません。
「みなさん、本当にこれでいいと思いますか?」と。
かつて黒澤明監督が、年齢を重ねるにつれて描く作品世界がどんどん観念的になっていったように、宮崎監督も最近の作品はとてつもなく深い何かがちりばめてあるように思えます。
もちろん、優れたアニメーション作品が皆そうであるように、幼い子供は幼い子供なりに、若者は若者なりに、そして年輩の人間には年輩の人間でなければ感じ得ないものを感じ取れる作品なんですが、『もののけ姫』あたりからはそれ以上に何かもっと複雑な宮崎監督のメッセージがいっぱい散りばめられているように思えてなりません。
みなさんはどう思われましたか?
それはそうと、予告は勿論、チラシや事前プレスでもおそらくは意図的に露出をひかえたのだろう、18歳本来のソフィの姿は、私が見る限り宮崎キャラクター中もっとも美人だったのには驚きました。なんて可愛いんだろう。なんて魅力的な女性なんだろう。これまでの宮崎ガールズのどこか幼さの残った少女の顔でない、文字通り“年齢に関係ない”女性ならではの美しさ。
そうか、それで隠していたのか。だから90歳の姿しか出さなかったのか。やはり宮崎監督一流の意地悪、イタズラには毎回やられてしまう。そのたびにあのニッカ〜って笑顔が浮かびます。くそう、またやられた。
そして声の倍賞千恵子さん。私にとっては“寅さんの桜”ではなく、あの何事にも一途なソフィの雰囲気はまさに彼女が若い頃、昔の松竹映画『ふるさと』『家族』で演じられたままの、一所懸命な役柄のイメージにぴったりでした。
それでは、また。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
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『ネバーランド』 米・04年
東芝エンターテインメント配給 05年1月15日より公開
***************************************************
世界中の多くの人が知っている童話『ピーター・パン』。でもそのお話はどんな作家がどのようにして創ったのか?
──とにかく、素敵で綺麗な、綺麗なお話です。この殺伐としたテーマの映画が多い時代に、筆者はこんなに優しくて美しいお話の映画が作られたことが嬉しくてなりません。
昔から童話作家を主人公にした映画はあったのですが、いずれもミュージカル仕立てだったり、どこか空想家的な描き方をしているのが定石でした。しかしこの映画はたいへん静かに、そしてとても温かなやさしさで全編を包み込んだ作品なのです。
そう、例えて言うなら“森の静けさ”。作品全体を通してテーマカラーのようにうまく使われているのが緑。森の緑、芝生の緑、木洩れ日の緑。そしてガーデニアンにはため息のでそうなイングリッシュ・ガーデンのハーブの緑。
それはそのまま、今では当たり前のようになったピーターパンの衣装の緑を連想させ、ピーターたちの国ネバーランドのイメージカラーにつながります。
だけど、あくまで主人公達は現実世界にどっぷり浸かって生きているという描き方をしています。たとえばジョニーデップ演じる主人公ジェームズ・バリは過去の名声とは裏腹にスランプに苦しむ劇作家。愛しているにもかかわらず妻とはもはや表面だけの夫婦。
その名を名作に与えることになる少年ピーターは幼いにも関わらずシニカルなものの考え方しかできない、夢を失った子供。そして少年の家は父の突然の死に破産寸前…
それだけに、バリの突拍子もない行動はアタマの硬い常識人にしてみれば単なる現実逃避にしか見えません。
しかし物語の中核となる空想力は現実逃避の手段などではなく、ともすれば四角四面な見方しかできない“冷たい現実”を柔軟に受け止め、別の角度から見つめ光を当てることで解決の糸口を見つける準備体操なのだとバリはその行動でやんわりと説いて行きます。
終わったあと、泣きました。哀しくてではなく、お話の美しさに感動して。しかも涙が止まりません。ヤバイ。しかし見回すと、私と変わらない世代のオッサンたちもグズグズ鼻をすすっているのです。それも、プレス試写会だったわけですから、映画を見ること評すること百戦錬磨の連中が、です。
主演は変人俳優の誉れ高いジョニー・デップなんですが、この作品で彼はほんとは素晴らしい役者だということをあらためて思い知らせてくれます。いや、これまでも大した役者なんですが、なんせ彼がチョイスする作品はどれも一風変わったB級っぽい内容のものばかりでしたでしょ?
共演に『タイタニック』のケイト・ウィンスレット、ダスティン・ホフマン。そして何よりも主人公が出逢う少年、ピーターを演じた12歳の子役、フレディ・ハイモア。
新春、心の洗われる映画がご覧になりたいなら、オススメです。(T▽T)
余談ですが、最近韓流はもちろん、おっ、これはええなあと思う映画は“東芝エンターテインメント”が多いような気がします。ただし単館系短期間ロードショウが多いので注目ですよ!
******************この記事は拙作メルマガ最新号より転載しました
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はい、みなさんこんにちわ。(*^_^*)/
なにかと話題の多い韓国映画の中で、制作中から世界的にも注目されていたのがこの作品。
というのも、やはり監督が韓国映画をイッキに世界メジャーに押し上げた『シュリ』のカン・ジェギェだったからですが、今回も韓国映画としては異例の高額予算を投じて制作されました。
物語は1950年夏、早くに父を失ったあと、靴磨きをしながら一家を支え弟を大学へと通わせていた兄は秋には結婚を控えた身でしたが、突然起こった朝鮮戦争のために兄弟は強制的に徴兵されてしまい、母や婚約者、婚約者の幼い弟妹を戦禍迫る中へ残したまま血みどろの戦場へと追い立てられて行きます。
戦場、それも最前線という異常な環境の中、兄は特別な手柄を立てれば弟を除隊させるという約束を大隊長と交わし、そのためだけに次々と危険な任務をこなしてゆくうちに、いつしか戦場の悪鬼になってゆく…というもの。
私自身、韓国の文化にふれるまでは知りませんでしたが、くしくも日本公開の直前、6月25日は朝鮮戦争勃発の日です。韓国語で625を表す“ユギオ”という言葉は、韓国ではそのまま朝鮮戦争の代名詞なのです。
広告のキャッチでは“究極の兄弟愛”と唱われています。間違ってるとは思いませんが、普段はこの手の映画に涙もろいクセに珍しくまったく涙が出なかった筆者としては、兄弟愛と言うよりは“弟のために鬼になった兄の哀しさ”を描いたものだと思うのです。
かつて筆者は『プライベート・ライアン(98年アメリカ作品)』の冒頭、ノルマンディ上陸シーンを観て生まれて初めて映画で本当の戦場を疑似体験したような気になりました。
飛び交う銃弾の擦過音、血しぶきを上げて粉砕される兵士の肉体、次の瞬間にはそれにひるんだ兵士の頭をも銃弾が貫くという、戦場では当たり前であるはずの光景を映画でこれほど正確に描いていることに筆者はたいへん感銘を受けました。
筆者が幼いころ戦災の悲惨さを親から聴かされ、興味本位で兵器や武器の知識を得るに従ってその実際の威力を知り、また死体映像を公開することにあまりやぶさかでない東南アジア系のドキュメンタリーをノーカットで見た経験からすると、昨今の日本やハリウッドの戦争映画や殺人シーン、時代劇における殺陣の描き方があまりにも稚拙で「うあー、やられたー」的な表現にはへきえきしていたのです。
例の事件のせいで故・深作欣二監督の作品は問題視されていますが、内容を見るとかつての東映やくざ映画のノリでかなり大げさな表現なので、B級ホラーかお化け屋敷的な雰囲気すら感じます。むしろ殺人をリアルに描く点では、北野武監督の作品のほうが毎回ぞっとするほど怖ろしい。
でも、殺人そのものを、殺人を犯す者を怖ろしいと感じさせてこそ正しい描写だと筆者は信じます。美化した人の死や稚拙な殺人の描き方は、本来殺人が持っている残虐性や死の悲惨さをオブラートに包んでしまうもので、かえって人間が持っていなければならない恐怖や死に対する畏怖の念をマヒさせてしまうのではないでしょうか。
実際、拳銃はドキューン!というような迫力のある音は出ず、パン!とまるで陸上競技のスターターとそう変わらない音しかでないこと、しかし逆に実際に撃たれた場合、大口径だと肩なら砕け、頭の場合はまるで落としたスイカのように粉砕されてしまうのです。
当然機関銃や爆弾の類となると何もかも粉々です。そして人間は今まで生きていたことがウソのようにあっけなく死にます。
『ブラザーフッド』はそういう点で大変写実的であり、正直な話この映画ではそんなシーンばかりだと言っても過言ではありません。それこそ公開当時、女性の大半、観客の多くが気分を悪くしたという『プライベート・ライアン』のノルマンディ上陸シーンがずっとずっと続くのです。
しかもそれが『プライベート・ライアン』よりも更にリアルさが増していて、実際にヒトが撃たれているのではないか、誰か本当に死んでいるのではないだろうかと思わずにいられません。
ウォンビンやチャン・ドンゴンなど見知っている俳優が出ていなければとても映画だとは思えない生々しさなんですが、そんなシーンばかりが延々と続くために、やがて自分の感覚が麻痺してゆくのを感じます。ヒトが無惨な死にざまをさらすことに慣れてゆくのです。
逆にいえば、それは平和な生活から一転して突然戦場へ送り込まれた主人公達の目線でもあるわけです。
ただ後半、取り憑かれたように北朝鮮の兵士を殺しまくる悪鬼と化した兄に“もうやめてくれ”と弟が訴える理由が、兄の身を案じてというのが少々ひっかかるのですが、映画という物語である以上、当然ですが主人公たちに感情移入してしまうのは否めません。
それが監督の思惑なのかどうかはともかく、常に彼らの視線と立場で観てゆくうちに、やはり観客はいつのまにか彼らの気持ちに入れ込み、やはりその時その時の“敵”を殺して行きながら危機に陥った場合は主人公達が敵を倒すとホッとしている自分に気づきます。
だからこの映画で泣けるとしても、単純に不幸な兄弟への同情とか、『シュリ』『JSA』で描かれたように、今も朝鮮半島をふたつに裂きつづける悲惨な現実や、人間の業ともいえる人間同士の殺し合いに対する怒りと哀しみ、血で血を洗う憎しみの系譜とでも言うべき『キャシャーン』で感じた行き場のない悔しさとは少し違うのです。
言うならば、むしろ弟のために悪鬼となり、さらに巡り合う悲惨な運命に翻弄されながらも、もう鬼でいるしか仕方がない兄の哀れさこそが、悲しいのではないでしょうか。
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はい、みなさんこんにちわ。(*^_^*)/
60年代後半。ヤクザの抗争から殺人を犯して死刑を宣告された主人公は謎の男から「国のために、もう一度生きてみないか」ともちかけられる。
死刑を免れたものの、同じような犯罪者たちとともにはるばる海を渡って連れてこられたのはシルミド(実尾島)という孤島だった…
国の身勝手な政策という押しつけられた“運命”のなかで必死に生き抜こうとする連中のあがきを冷静に描いた映画の内容もさることながら、この事件が1971年を発端にしてるという事実にショックを受けます。
71年と言えば、日本で言えば大阪万博の感動もまださめやらぬ、ハイテク時代への幕開けとなった頃でした。
今年三月に公開された『殺人の追憶』でも、その舞台となった80年代は日本でいえばマイケルジャクソンやマドンナの来日など、バブルの絶頂期だったのに、韓国では当たり前のように戒厳令があったり、灯火管制があったことを知って驚きました。
『シルミド』の舞台である71年となれば、もっと北朝鮮の驚異は差し迫ったことだったはずです。
私たちは本当に平和になった国で育ったんだなあと実感させられました。
この作品は邦画では絶対に考えられないリアルなアクションシーンもほとんどがスタントマンなしで韓国の俳優たちが決死の思いで演じました。
残念ながら日本人にとっては、この事件の本当の重さは対岸の火事程度にしか理解できないかもしれません。
しかし、単に史実を描いたアクション映画、感動で泣ける映画だというよりも、この事件が真実を描いたドキュメンタリーであることを感じ、いろんなことを考えながらぜひとも多くの人に観ていただきたい作品です。
主演のソル・ギョング(ハングルで見て気づいたんですが、ソル“ギョング”ではなく、正しくは“キョング”ですね。)は韓国きっての性格俳優で、秘めた刃(やいば)のような切れ味の眼差しと演技は、筆者的には緒方拳のような役者(うんと若いですけどね)という位置づけ。かつてBS特別ドラマ『聖徳太子』で、朝鮮から渡来したもと刺客の役を演じたこともあります。
ちなみに彼の次回作はあの伝説のプロレスラーを描いた『力道山』。しかも共演は『ホテルビーナス』において韓国語で熱演した中谷美紀。
いやはや、いいカタチでの日韓共作が実現しそうで嬉しい限りです。
また共演のアン・ソンギは“国民俳優”と呼ばれる名優であり、理想の上司ナンバーワンにも挙げられるカリスマ性の持ち主。
ラッキーなことに試写会で舞台挨拶を観られたのですが、役柄で彼が見せる姿とは正反対の、やわらかで優しげな物腰は久しぶりに本物の紳士を見た思いでした。その時アン・ソンギさんが「共作とか合作というのを意識せずにフランスやイタリアの俳優がフツーにアメリカ映画に出るように、韓国や日本の俳優がお互いの映画に自然に出られるようになればいいと思っています」とおっしゃってたのが印象的でした。
それと、もうひとりの主演とも言えるチョン・ジェヨンは『ガン・アンド・トークス』というアクションコメディで、ウォンビンの兄貴分役を演じたのですが、その時はロンゲでクールな役柄だったからかトヨエツに似てる印象を持ったものの、今回の方が個性的で役者としてずっといい味だしてるなと思いました。今後が楽しみな俳優さんです。
他にも現在『オールイン〜運命の愛〜』に出演中で、主演のイ・ビョンホン生涯の相棒となる役柄のホ・ジュノなど、なかなか豪華なキャストも魅力。
余談ですが、第三班の班長が話すのはプサン弁で、いわば韓国の大阪弁。また劇中で歌われる“黄色いシャツ”は今も知られる韓国の懐メロ代表曲。
でも死線を越えてようやく一人前の暗殺隊となったとき、彼らが送別会で酔って唄った歌は、なぜか北朝鮮の軍歌だったという哀しい皮肉も。
この映画は、2003年度韓国の作品です。またこのコーナーでお逢いしましょうね。
公式サイト→ http://www.silmido-movie.jp/
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それにしても映画『キャシャーン』、先日の『殺人の記憶』もそうでしたが、こんなにあとになるほどジワジワといろいろと考えさせられる作品に続けて出逢うとは思いも寄りませんでした。
キャシャーン。筆者と同じ40代や近い年齢の人でそのアニメを知らない人はいないでしょうが、どんな時代も子供に夢とメッセージを伝え続けたタツノコプロの傑作のひとつですが、この作品の実写化という話を聞いて筆者が真っ先に思ったことは「イヤだな」ということ。
もとの作品が好きならば好きなほど、妙な形でのリメイクはすなわち自分の聖域に踏み入られたような気分になるもので、今回もそうでした。
また、予告編を観て行くつもりになった時も、決め手は“けっこうカッコ良さそう”“SFとしてできが良さそう”だと思ったからでした。
しかし、映画が始まりストーリーを追って行くと、そこに描かれた世界はSFという形をとっていながらとてつもなく現実的であり、底辺に流れるメッセージの熱さに、自分が思い描いていた映画とは全然異なる作品だと気づきました。
痛い。胸がとても痛い。苦しくて辛くて、こんなに哀しい映画はいままで経験したことがありません。
かつて『ガンダム』は“敵味方”という概念をとりはらって“戦争とは人と人の殺し合いである”ということを初めてキチンと描いた作品でした。しかしそれで描かれた戦争の無常感もどこかに“仕方がない”という気持ちが残りました。
しかしこの作品に於いて、すべてのキャラクターが人間なのです。人間。それは善と悪が共存するものだと描いた作品は多かったけど、この作品では“愛情と憎悪”が表裏一体だと描かれています。
中東を一方的に攻めたことで戦争をまき散らしているアメリカ、自国民をして爆弾テロで無差別に死をまきちらすテロリスト、無茶苦茶な論理で自分のエゴを正当化しようとするイスラエル政府…
すべて彼らなりの理由があるのでしょう。でもやっていることは人殺し。では戦争の当事者を排除すれば終わるのか?誰が一体悪いのか?この作品にはそういった意味で単なる犠牲者、単なる加害者という単純な構図は存在しません。だからハリウッド映画に多い、正義も悪もその枠組みの意味をなさない。立場を変えると誰もが悪で、だれもが加害者…これこそがこれまでのどんな作品も描こうとして描ききれなかったテーマでした。
だからそれをおそらくはじめてきちんと描き上げたこの作品を観ていると、個人や国といったカテゴリに関係なく、殺し、殺され、また殺す無限の憎悪の輪廻そのものに対する、やり場のない怒りと無念さで胸が押しつぶされそうになるのです。
どこにも反戦映画だとは書かれていませんが、反戦映画と言われていた映画ですら、これほどメッセージ性の強い作品はありませんでした。
正直言って、筆者は監督の紀里谷和明という人に対してかなり色眼鏡で見ていました。
たしかに映像という意味でもとんでもない才能は感じますし、制作中から言われていたように特撮としてもものすごい力量の作品です。ですが、やはり特撮は映画においてやはり物語のためにこそあるのであって、今のハリウッド映画がそうであるように、特撮がすごい、というだけの映画は人の心を打ちません。
その点でもこの監督の脚本・構成力でもとんでもない才能です。
今ではこの監督の次の作品が観たいし、きっと彼の作品だというだけで観たくなることでしょう。
この作品のパンフレット自体も大変ユニークなのですが、その内容に関しても、普通はなにかしら第三者によるコメントや解説、讃辞が載っているものなんですが、なんと監督のメッセージとキャストのコメント以外は全部写真だけのフォトブックなんです。
こんなのも初めてです。まあしかし、よく考えてみたら依頼されて書かれた解説やコメントなんて、やっぱり批判的な事なんて載せるわけないし、監督のメッセージを読んだ限りでは彼はそういったことを望んでないようですね。
つまり、映画を観てすべてをあなたの眼で判断してくれ、ということですね。
紀里谷和明、この名前はもしかしたら映画史に永く残ることになるのではという気がします。ただし、そのウェーブは日本ではなく外国から起こるでしょう。幸い彼はNY在住なのでチャンスはいくらでもありそうですが、ひとつ気になるのはキャシャーンが非常に日本的な作りだと感じたこと。
つまり、映画そのものが非常に寡黙なんですね。まるで黒澤明とか昔の名監督のように、台詞ではなく映像や役者の芝居ひとつひとつにすべてのメッセージがある。
普通ならもっと説明的でしかるべきなSF的で難解に思えるシーンでも必要最低限まで絞り込んでいる。あくまで登場人物のしぐさや反応からひとつのなぞめいた台詞の答えを観るものに考えさせる。これは昨今の邦画にはみられない、失われた高度なテクではないでしょうか。
しかも、2時間20分の長尺なのにどんな派手なシーンもカッコイイシーンもすべて一度しか描いていないんですね。予告編を観ていたから何度も観たように思いますが、実はアニメ版キャシャーンでよく知られる、手刀でロボットを切り裂くシーンなどどんな“おきまりな”シーンも描かれるのはたったの一度だけ。
キャラクターにしても、私らオールドファンは事前にその名を知ってましたが、実は劇中では東と上月、そしてルナ以外はほとんど一度しか(アクボーンとサグレーなんて一度も)名前を呼ばれたり名乗ったりしてないんですね。こういう点では単純を好むハリウッド映画界よりも、欧州の通好みな映画シーンでこそ真価が認められそうな気がします。
とはいえ、とにかく驚くことばかりです。
いやあ、すばらしい映画でした。
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くしくも原作者の横山光輝氏は事故で昨日亡くなってしまいましたが、彼の代表作『鉄人28号』がすんげースタイルで復活しています。
たぶんエロネタが多い夜中のアニメなんか観てられるか〜!とノーチェックの方が多いと思いますが、これは本物志向の映画好きにもオススメですよ。
実写劇場版も制作中らしいですがそれはおいといて、このアニメはすごい。なんと新作ですが時代設定は原作と同じく終戦直後。
これまでのリメイク鉄人と違って、原作通りの旧日本軍秘密兵器なんですね。違うのは描き方、演出方法がリアル。横山光輝のタッチを活かしながらも生々しい存在感が鳥肌もの。
おなじ鳥肌はOVA『ジャイアントロボ』がありますが、たぶん同じスタッフによるものです。巨大感、リアルな動き、神経の行き届いたシナリオ。
街の壊れ方、にげまどう人々、逃げようかどうしようかと迷う人まで描かれているなんて、東宝や円谷に爪の垢をくれてやってほしいくらい。
しかもリメイクにありがちな新しい音楽や主題歌ではなく、なんとなんとあの
♪ビルの街にガオ〜!なんですね。でもあの千住・兄による編曲新録音なのでアナクロなのに壮大かつ迫力の音楽。タイトルバックも妙にアナクロを意識した手書きっぽい書体。(しかも縦書きっつーのが泣かせる)まさに、昔の良さを残したまま今の技術を投入して誕生した傑作です。
ただいま大阪では二話までオンエア。まだまだ間に合うぞ!
放送はテレビ大阪ですが、制作会社の名前がまた泣ける。なんと“敷島重工”…つまりマジで鉄人を製作したとされる会社の名前にしてあるんですね。
http://www.tetsujin28.tv/top.html
まあ観てソンはありません。(^_^)/いや、観ないとソンする。
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