「桜色」ほど難しい色、桜ほど描くのが難しい花はないですねぇ
いつからか大好きになった桜。仕事に就いてた時も、京都の桜だけはなんとしても見にゆかないと気が治まらなかったんで体調がボロボロでも諦めたことはありませんでした。写真も撮りまくったけど、さて絵にしてみようとすると、写真を元にデジタル処理しても桜にならない。
いや、もちろん桜の画像です。でも「桜ですよ」と言わなければ相手にはそう見えないような気がして。材料としては桜なのに、自分の脳内にあった想い出の光景とはほど遠いのです。いわゆる「コレジャナイ」というやつで。
ネットを通じて画像検索すれば古今東西の描画法を駆使した桜の絵が見つかるのはありがたいんですが、うわっつらだけ真似たってできないのが絵というヤツで。
いや、もちろん桜の画像です。でも「桜ですよ」と言わなければ相手にはそう見えないような気がして。材料としては桜なのに、自分の脳内にあった想い出の光景とはほど遠いのです。いわゆる「コレジャナイ」というやつで。
ネットを通じて画像検索すれば古今東西の描画法を駆使した桜の絵が見つかるのはありがたいんですが、うわっつらだけ真似たってできないのが絵というヤツで。
モネや名だたる印象派の画家たちが描く花って、近くで観たら筆でなすくった程度の筆致なのに、離れて観たらちゃんと何の花なのか場合によっては品種までハッキリ分かるんですよ。あれが不思議で不思議でならない。まさにアレが「ものの本質を捉えられた」結果なのでしょう。
空の雲しかり、しずくに始まり海に至る水しかり、樹々や土の様子しかり。人から絵を教わったことがない私は知らないが、もしかしたら「描き方」もあるのかも知れませんが、ともあれ我流でがんばってみてますが、「桜の本質」にはほど遠い。
まあ今回どこまでできてるかどうかはともかく、コテコテと木を、枝を、つぼみを、花を描くのは楽しいです。
以前はめんどくさいから、と自分で撮影した風景をレタッチしモンタージュし、さらにデジタル処理して使ってたりしました。でも結果的に懸かる時間はゼロから思うように風景を創作するのとそれほど変わらないんですね。むしろなかなか思うように仕上がってくれない事に対してのフラストレーションを思えば、真っ白な画面へコテコテと脳内に浮かんだ理想の背景を描き込んで行く方が精神衛生上良いように思えるようになったこの頃です。
そして。桜で難儀なのが「色」。「桜色」ってどんな色?って訊かれても簡単には答えられません。印刷的に色のパーセンテージは分析できても、それだけでは桜に見えないのは描き方と同じ。肌色もそうですが、周りの色と組み合わせて初めて「桜の色」に見えるから不思議。白地に実写の桜の花から拾った色を置いてみると、結構濁った紫色に見えたりします。白だと思った部分でも意外に暗いグレーだったり。ツボミに至ってはまるでチョコレート色。
ほんとうに掴み所がない。名だたる画家の目っていったいどんな色彩感覚だったんでしょうか。絶対音感に対する、絶対色覚てのがあるんでしょうね。周りがどんな色に囲まれていようとも、その一点が何色なのかを的確に見て取れる感覚が。
実は今回もっとも手こずりのたうちながら苦心したのはそんな桜の色でもカタチでもなく、メインである娘の表情でした。まあ描けない描けない、掴めない掴めない。《満開の桜の影からコソッとスマホのカメラに納めようとしてたら見つかって》というシチュエーションにしようと思いついたまでは良かったけど、全然キマらない。ポーズ、身体だけは割とスムーズに描けたのに、顔の角度、目線、表情が「ナンカチガウ」。
結局、五日費やしてまるで印象の違う娘の絵をまるまる三度仕上げました。ボツとなった2作はもちろん今後の反省材料として残してます。いったいいつになったら会心の出来に出逢えるのやら。その日を愉しみに、また絵を描くのですね。
ヽ(´∀`*)ノ ほな、また。
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