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2011.10.18

『日常』それは大いなる動画の実験場!

Nichijo00

 “animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する。(Wikipediaより)”

 和訳では動画。じつに上手い翻訳です。当たり前ですが、アニメーションは動いてナンボ。

 動かなければアニメじゃない───などというと、伝説のアニメーター杉野昭雄先生を否定してるのか!とお叱りを受けそうですが、あの“必殺の止め絵表現”は当時の今よりも苦しい予算と時間と技術力の中で絞り出した苦肉の策だったわけで、もしも『あしたのジョー』や『エースをねらえ!』『宝島』が京都アニメーションみたいな制作環境の元に作られてたらまた違った表現を考えられたに違いないんですよね。

 それにしてもこの『日常』もそうですが、京都アニメーションの作品の動きは本当にすごい。

 

 もともとテレビ用アニメは『リミテッドアニメ』と呼ばれ、本来1秒間に24コマ走るフィルムに対して、『白雪姫』や『眠れる森の美女』『ダンボ』などのディズニーの劇場用アニメーションが24枚の動画で作られているのに対して、12枚かそれ以下の可能な限り少ない絵の枚数で動きを表現するために考え出された技法。

 これは一本20分すこしのアニメ『鉄腕アトム』をテレビの毎週ペースで放送するために、手塚治虫大先生たち虫プロの首脳陣がひねりだした、これも“苦肉の策”だったわけで。
 2時間弱のディズニーのフルサイズフルカラーアニメを制作するのに数年かけていた当時、いくらリミテッドで白黒といえども、毎週23分を一本作ろうなんてまさに前代未聞、ギネス級の無茶苦茶な企画だったわけです。
 誰もが「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理」と千切れんばかりにかぶりを振った筈なんですよ。

 とにかく、教科書の角っこに自分でパラパラマンガを描いたことがある人なら、アニメーションとはどんだけ手間暇と根性と工夫が必要か、プロの苦労苦心の万分の一くらいは垣間見てる筈なんですよね。

 で21世紀、京都アニメーション、というとんでもないプロダクションがある。

 たしかにデジタル彩色のお蔭で、絵の具の乾燥を待たなくていいし、やり直しは無限回数できる(スケジュールの範囲内で)とはいえ、なんせ撮影すればヘタでも何でもとにかく尺のかせげる実写とは違って、単純にまばたきひとつ、指一本動くカットでも、まず『描かないと』始まらないのがアニメーション。

Nichijou03

 『1/24秒単位』で『無から有を生む』作業をえんえん、えんえん、またえんえんと繰り返して『世界』を紡いでゆくという、石の上にも三年を地で行く仕事がアニメーターさんなんですよね。
 まさにジェネシス(創世)。その作品の中では、神にも等しいことを毎週々々毎日々々やりつづけている。
 しかも深夜ひと晩にいったい何本のアニメが放送されてるのか、そのサイクルもいまやワンクール単位で変わることを思えば、もう宇宙の膨張にも近いスケールでどんどん増え続けてる。
 ぶっちゃけた話、観た作品より観てない作品の方が圧倒的に多い。

 そしてひと昔のことを思えば、信じられないくらい動画の技術は向上してますね。
 まして四半世紀前の作品レベルなら、今時のアマチュアならあれくらいは普通に自宅のPCの中でちゃっちゃっと作ってしまう人がゴチャマンといる時代になってしまった。

 そんなことが全体的なテコ入れになって底上げ現象が起こってて、おそらく現行のアニメーション制作会社のほとんどは、どこも同じくらいの動画テクニックを持ってる。
 もちろん、プロははるかな高みに上がってしまい、更に更に上を目指しているから物凄い。

《つづく》


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