神戸でゲージュツに触れる。その3〜オールドノリタケ展〜Bパート

ティーカップの柄ですが、美しいでしょう?これを手描きで、ひとつのカップやソーサーに4〜8ヶ所、ソーサーとセットで×6客、さらにポットやピッチャーもあったりして、それが最低でも100組…しかも言われなければ全部手描きだとは思えないグレード。どうです?
気の遠くなるような根気と技術と、それだけではなく「これでもか」と妥協を許さない仕上がり。
私は根気がないんで、こういう事ができる、というだけでもその人の前で平伏してしまいますね。
orz...
上の商品などはまさに同じ技法によって金彩部分を立体的に仕上げていますが、なんせ白磁部分自体がごっつい薄さで、陽の光…いや、蛍光灯でも透かして見ると、金彩部分が影絵になって見えるほどなんです。
取っ手が付いてますからもちろんロクロとか使えない。
さらに画廊にあった作品には、六角形になったものや、下部分が丸で上部分が四角になった小鉢などもあり、なにせ手作りでないと無理、そしてよほどの技術がないと手作りでは無理、というシロモノばかり。

もうひとつの流れがこういった風景画風のもので、金ピカ系がアールヌーボーならばこちらはもろにアールデコ。つまり大正時代はこういった雰囲気の作品傾向になっていくんですね。
しかしチャップリンの活動写真がやってくるようになった大正時代になっても、所詮はモノクロだし、そうそう風景画を見るチャンスもない。まして洋行といわれた海外旅行経験者なんて1000人に一人もいませんわね。
だからこんな風景、職人さんはやっぱりクライアントから送られてくる指示書でしか知らない。

とはいえ、筆遣いや細かい部分での仕上がりや徹底した作り込みはさすが日本の職人ならではの凝りようで、さきのツブツブにしても、ガッツ・クリオネはランダムでしたが、カップやソーサーの外周部に施されたものは、ひとつ1ミリもないものが1ミリ間隔でびっしりと規則正しく並んでるんですよ。
当然ですが、当時の日本で使われていた伝統的な陶器にはこんな絵柄の食器などありません。
都会でモボ・モガが台頭してくるのはまだ数年後のこと。
この美術画廊、文字通り“画廊”なので今回の展示では約100点すべて、あくまで商品として売ってはるんですが、画廊におられた担当の方が一点一点、私に説明してくださったんですよ。
しかも「普通はガラスケースの向こうですが、ここは画廊、触って観て戴ける美術館ですから」と、実際に触らせてくださって。
もちろん私が買いそうもない、買えそうにもない風体であることは一発で見抜いておられるにもかかわらずです。
その方が仰ってた言葉が印象的でした。
「仕上がりがあまりにも見事すぎて、本来はそれほど高くない生活雑器にもかかわらず、特別な時以外は使わずに大切に置いておこうと思わせてしまうだけの気品とオーラが感じられたからこそ、壊れやすい(品物によっては向こうが透けて見えるほど薄い白磁)ものなのに、欠品はもちろん、金部分の摩耗もほとんどないままに100年、こうして残ったんじゃないでしょうか」
そんな関係からか、実は値札を見てビックリ。よく、名のある作家さんの備前焼とかはヒトケタ違うんやないか、ぐい呑みひとつがウン十万!?……てのがありますが、今回見たのはその逆で、今作られてる高級食器より安いものさえある。
▲これもアンティーク、100年前の骨董品…という割には無茶な値段ではないんですな。
(;´д`;) なのに買えないのがめっちゃ悔しいんですが。
というのも、まるで水彩絵画そのものの皿とか、描かれた風景画の小さな器のうち、直径7センチ、高さ5センチほどの器などは¥15,750…と魔が差したら衝動買いしそうな一品はマジで欲しかった。
冷静に考えて「使えるか?飾るにしてもどこに?」と20数回自問自答して諦めました。
が。諦めたのはその時だけ。
必ずやがんばって手に入れマスですよ。(;`д´;)9 素敵な逸品を。
最後に変わり種をもう一つ。

秀吉が大喜びしそうなキンキラキンですが、これも白磁ベースに金を引いてこしらえたもので、裏返すと目にも眩しい白。
なお、ガッツ・クリオネ以外は、私が見せて戴いたのとは類似の商品から転用です。あしからず。
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