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2010.02.02

『バガボンド32巻』嗚咽する武蔵。考える一刀斎。

Vagabond32

 私と武蔵関係の本との出逢いは、つくづく不思議な縁(えにし)で結ばれています。
 今回も出ている事を知りませんでした。いつもは通らない道に、駅の売店みたいに新聞雑誌などと一緒に売れ線の新刊コミックだけ置いている店があって、その日に限って『バガボンド32巻』が置いてあって。

 その時、またひとつ“運命”的な指針を感じずにいられませんでした。
 まあ、そのことは32巻で受けた感銘のお話の後で。

 さて今号。

 
 原作・吉川英治版にはない、まったくの井上武蔵オリジナル・エピソード。
 まあ、幼少時代の小次郎や伊藤一刀斎が絡んでいる時点でとっくに完全なオリジナル編に首を突っ込んでいるのですが、まさか一刀斎と武蔵の対決が観られるなんて。

 前号でその一刀斎との真っ向対決(ガチなんて安っぽい表現はせぇへんぞ!)で対峙したまま『待て、次号』で終わるという罪な事をしたわけですが、やはり無傷では済まないんですねえ。

 いうなればゴジラ対ガメラ、仮面ライダー対バットマン、無用ノ介vs拝一刀。
 吉川英治原作版のキャラで言えば、予感のままで終わってる柳生兵庫之助との対決にも比肩するほどのビッグタイトルです。
 しかも話を読み進んでいくと、もうひとつの対決が輪郭をなしてきて「もしや?」と思わせはじめ、やがてそれは確信を強めていって、巻末近くではついにその恐るべき答えが披露されるのです。

 それはこの物語の上ではクライマックスに向けて最高の布石であり、ファンとしてはこれ以上考えられないほどの大サービス対決。

 それにしても一刀斎ほどお茶目で“可愛い”おっさんキャラは初めて見ましたね。
 ぶっちゃけた話、32巻の主人公は伊藤一刀斎だと言っても過言ではないのでは。

 天衣無縫というのはこんな人物を言うのでしょうが、おそろしく強いくせにやることなすこと無茶苦茶で無計画、ほとんど欲望のまま好き勝手に生きている。
 猛々しく、荒々しく、自分より強い相手を求めて斬り合うことに異常なほどの熱意を見せ、それでいて常に氷のように冷静に物事を分析する冴えた頭脳の持ち主。

 こんなおっさん、いませんわね。いそうではあるけど。


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 私は戦国小説と共に、いわゆる“剣豪もの”が大好きなので一応、伊藤一刀斎を主人公にした話も読んだことがあるんですが、そちらの“主人公”としての一刀斎は、こう言っちゃ実もフタもありませんが、フツーの剣豪でした。そう、昔の白黒時代の時代劇に出てくるような。
 もちろん神懸かり的に強いんですが、実際、あらためてチラ読みするまではどんな話かさえも忘れてしまうほどに個性のあまりない主人公でしてねえ。
 とにかく、人物に魅力がない。───いや、ないわけじゃないんですが、『バガボンド』の一刀斎が濃すぎるんですな。

 なんせ初登場からして印象的でした。いわば“もう搾る部分のないダシガラ(そういう表現はしてませんが)”として、学ぶべきことはもうないからと師匠にあたる鐘捲自斎のもとから出奔してから数年後にフラリと立ち寄ったというシチュエーション。
 けれど弱肉強食どころか生きるためならなんでもやった戦国末期、剣一本でひたすら強くなることだけを目標に生きたのが井上版一刀斎だとするなら、まさにこの行動は自然。
 むしろ、たとえ興味本位だったとしても、老いた師匠はどうしてるのかと訪ねてくる所こそ、一刀斎の人間性を垣間見せる見事なエピソードですわね。

 そのくせ、妙にチッコい事でムキになる所がなんともお茶目。
 何巻か忘れましたが、夢想権之助が登場した時になめたクチを聞かれてムカッとし、権之助の槍を一瞬で奪ったその手で脳天に一発ぶっこんで伸してしまうシーンは、彼の妙に“小さな了簡”の人物像を描き出す。
 今回の32巻でも、武蔵に対抗して地面に円を描くものの、無口な武蔵に「ワケを聞け」と強要する。実に巧い演出ですねえ。

 しかしぶっちゃけた話、武蔵を初めとする戦国末期から徳川初期の剣豪たちのほとんどは伝説みたいなもんで、どこから史実でどこまでが尾ひれ付きフィクションなのか限定するのはまず無理。
 まあだからこそ、ワタシ的には歴史小説はジャズ音楽みたいに譜面があってないような、ある程度の決まり事意外は何でもアリという、一種SFみたいなもんだと思ってますから、バガボンドにしても私はあえて『井上武蔵』と呼んでるわけでして。

 だからベースはともかく、これほどの個性と魅力を備えた一刀斎、機会があれば彼を主人公にしたスピンオフ作品も観てみたいもんです。
 まあ、それはバガボンドの他の連中にも言えるんですけどね。

 でもなんでこんなに一刀斎に惹かれるのかな、と思って考えてみたんですが。

 吉川版におけるエンディング時点の武蔵は、青春のイブキが萌え立つようで、巌流島での勝利もなんとなく優勝メダルを獲得したスポーツマンが、さらに上、次のオリンピックでも目指すような雰囲気さえ感じさせて終わります。
 あの武蔵が、たとえ生命の奪い合いに悩みつつも、さらに強さだけを求めながら生きてゆけばある意味、吉川版武蔵の巌流島での後の姿を追って描いて行けば、もしかしたらこの一刀斎みたいな男にもなり得たのではないか…という気もしないでもないんですよ。(別の作者による『それからの武蔵』なんてのもありますが。)

 しかし井上版武蔵は巻を追えば追うほどに求道者として生きようとする彼を浮き彫りにしてゆく。もちろん吉川版でもそうなんですが、井上版のほうがより顕著に思えます。
 というのも、原作でもこれまで無数に作られたその映像版でも描ききれなかった、武蔵自身への自問自答の描写───インナースペースへアプローチする様子が多用され、また実にうまく描かれているためでしょう。

 そんな中、再起不能寸前の傷を負ったことで尚更自分のこれまでの生き方を振り返り、またこれからの生き方を模索し始める武蔵。
 それでもこれまで戦いの日々をがむしゃらに生きてきた───それは裏返せば彼が生き延びた同じ回数だけ人を斬ってきたということ。
 同時にそれは生命をやりとりすることでしか同じ道を征く人物───いわば、友たちと交流できず、また自分自身を表現できなかったこと、しかし実は、そこには喜びや悲しみの感情さえも介在していなかったことにようやく気づいた武蔵の眼から涙があふれ出す。

 かつてただのケダモノだった“たけぞう”が、剣という目的を得てヒトの体裁を得たのですが、これでようやくヒトの魂を得た…ということなんでしょうね。

 そしてついに、小次郎の代名詞でもある『燕返し』が読者の眼前に登場します。それも原作ファンでも思わず
「こ、こう来るか!!」と膝をたたかずにいられない、斬新な登場。
 こういうと失礼かも知れませんが、原作での、“川の上を飛び交う岩燕を斬って会得”などというあまり気分の良くないエピソードよりはるかに納得のゆくものでした。

 それにしても『バガボンド』は凄まじい。

 さて冒頭の話もさせてください。いきなりですが、職を失いまして。

 私にとって、武蔵は指針。いえ、もちろんベクトルは全く違います。しかし間違いだらけの人生でつっぱってつっぱって、根性よりも意地で、技よりも勘でヤケクソのように突き進んではボロボロになってまで悩み苦しむ彼の姿は、共感と尊敬と感動に充ち満ちているのです。
 特に、不思議と「もぉ、ダメかな」と思えるような、そんな具合に私がいろんな意味で追い詰められてキツキツな窮地に立つと、ふと目の前に武蔵の作品が現れる。
 今は井上雄彦氏の『バガボンド』ですが、それが吉川英治の武蔵だったり、司馬遼太郎版だったり…と作者こそ違えども、いつも私が迷う場所になんらかの光明を指し示してくれるのです。

 しかも。

Vagabond100211go 最後に、どうです、この笑顔。
 32巻での某エピソードにシンクロしての絵だと思うんですが、それこそバガボンド始まって以来の、屈託のない武蔵の笑顔。

 これには、思わず「おおおおっ」と声を上げてしまいました。
 薄墨を使ってるのかも知れませんが、陽光の中で笑ってるように見えます。
 なんて、スゴイ人なんでしょう、井上雄彦って作家は。

 彼こそはマンガという創作芸術の中に道を求めている、その人だと確信しますね。
 まるで修行僧のよう、まさに彼が描く宮本武蔵そのもの。

 私は雑誌は買わないんですが、駅の売店を通り過ぎる時この表紙を見かけて思わず後戻り。画集!?…ああ、雑誌か、とは思ったけど絵が欲しくて衝動買い。
 自身の今後のはげみのために額に入れて飾ろうと思います。

 負けへんで。まだまだ。
 

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コメント

宮本武蔵や忠臣蔵
世間では大人気なのに、どうしても私の心に響かない物語だったのです。
なんのために闘うのか、どうしてもわからなかったんです。
でも、少しだけ井上先生のを読んでみました。
なんとなく、全部読んでみたいと思いました。
宮本武蔵、小さな子供を斬る場面がありますよね。たぶん父の仇討ちとかだったかなぁ
あれはどんなふうに描かれてるんだろう?
刃を持ち、命のやり取りをするということは
例え幼子であっても対等の魂を持つ人間として対峙する
ということなのか?
生きるってどういう意味があるんだろう?
死ぬって何なんだろう?
そういうことを考えはじめた熟年の私には
今が武蔵との出会いの時期なのかもしれませんね。


今はより高く跳ぶための時間だと思います。
しばらくは疲労回復につとめてくださいね(^-^)

投稿: ビタミン店長 | 2010.02.03 11:27

店長さん、毎度です。

≫なんのために闘うか、どうしてもわからなかった

忠臣蔵の場合は数多くありますが、堺屋太一先生の『峠の群像』が、そして吉川英治先生の『宮本武蔵』のテーマは実はそれなんですよ。
特に武蔵の場合、13歳で最初の“立ち会い”を経て人を殺して以来、17歳まで殺人鬼以外の何ものでもない修羅の少年時代があり、沢庵和尚によって初めて生きるという意味を知ってようやく見出した生きる目的は結局また剣で、井上雄彦先生版でいう、さらなる“殺しの螺旋”という最悪の矛盾にはまり込んでゆくわけです。

その最たるものが店長さんが仰る『吉岡一門との決戦』、それも三度にわたる決闘の結末なんですが、相手は子供を名義人にしてでも、メンツが絡んでもう引くに引けない状態なんですね。
生命より名誉を重んじる…という時代背景もありますが、もともと当時の一般的な武士の感覚からすれば規格外な思考をする───見方によっては卑怯ともとれる───武蔵なので、奇策を持って30対1の血闘などに挑むわけです。(井上版では70対1)果たして、どっちが卑怯なのだろうか、という、吉川英治自身の投げかけもあるのです。

いくら多勢に無勢で、さすがの武蔵が相手でも最後まで少年当主を守る自信があったにせよ、子供を盾にするようなマネをする一門と、それを斬って捨てた武蔵と。
もちろん、生き残るためとはいえ敵を全滅させてまで勝ったはずの武蔵の後悔は言うに及ばず、その後の生き方にも多大な影響を与えるのですが、戦国…いえ、今の戦争でも子供だからと無事に済むことなどないわけで、そうした無情で残酷な仕打ちに対しての怒りが込められている、と私は思っています。

しかも武蔵という“加害者”の立場でそれを描いてゆく。だからあとになればなるほど勝利者ではなく罪人の苦悩が重くのしかかる。
けして安物のチャンバラでは描けない崇高で永遠な哲学思想があるのです。

そうして巌流島の決闘までさらに数々の戦いがあるのですが、吉川武蔵で描ききれなかった部分、武蔵のもっと人間くさい部分や、10代、20代といった等身大の年齢の青年の心の動き、ゆらぎまでも描かれているのが『バガボンド』だと言えます。

だから、酷たらしい場面にも眼を閉じずに、生き様とは、死に様とはなんなのか…を知ることで、生きる意味を考える事ができるのだと、この作品を通じてもっと多くの人に知って欲しいと思います。
ひとりの人の生命は、ほかの無数の生命から成り立ってて、もちろんその中には人の生命も含まれているんだとあらためて考えずにいられないんですよ。

───ところで、ご心配お掛けしてすみません。大丈夫です。だからこそまた、この作品との再会があったのだと思いますので。

投稿: よろづ屋TOM | 2010.02.05 01:29

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