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2010.02.22

『アバター』その1:超精密な映像と映画の未来。

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 正直、すごく悩んでしまう作品でした。
 素晴らしくよくできた作品です。映像としては見事としか言いようがありません。一度でもCGを作ったことがある人なら、これほどの作品を創ることができるニュージーランド産のCG技術、人材、そして費やされた膨大な労力と困難に対する努力に対して、心からの畏敬の念を抱かずにいられません。

 あの世界の中に、惑星パンドラにいってみたい。
 そう思わずにいられないほどの美しく緻密に創り上げられたリアルな映像。しかし───。

 ご注意/物語の内容には触れていませんが、映像的な内容に触れています。
 

 
 物語としてはまったく普通のSF。感動はあくまで映像美としての感動であって、お話のアイデアも脚本も平凡なSFでした。きつい表現をすれば、ありきたり。
 期待が大きすぎたからだろうと言われれば、もともとアマノジャクな私、実はほとんど期待していなかったんです。
 行列のできる店ほど大したことがないように、これまでもマスコミが騒ぐ作品ほど、つまらないという印象があって、また自分のささやかな実体験から言えば、それは大抵当たっている。

 とはいえそんな予想は可能な限り裏切って欲しいので、いずれ観る時のために予告編も事前情報も目を背けるようにしてきましたし、私自身が先読みしない体質ですから、たいていの場合はそれなりに驚くし、感動をもらうんです。
 しかしがっかりこそしなかったものの、仮想のボディに心を宿して異星文化になじむ…というたった一行のプロットだけで予想しうる内容と、ここまで合致してしまうとは、ある意味予想外でした。

 脚本、物語として出来が悪かったら記事すら書かないんですが、あいにく脚本は上手い。ただ、月並みな内容なのと、もったいない作品という印象になってしまったんです。お話の上で、ある一点の引っかかりがあったために。
 それに関してはネタバレになるので次回にお話しするとして、今回は技術面で考えさせられたことを。


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 じつは、3Dに関しても意外なほどなんとも思わなかったんです。
 前から7列目中央、視野としては約120度を確保して理想的な座席位置でしたしメガネも問題なかったのですが、3D自体にはまったく新鮮みを感じなかったんです。これも意外でした。
 
 もっと手に取るほど目の前に、近くにある感じがするのかと思っただけに、既存の技術と感覚的には差がなくて。7年近く前に初めて行ったUSJのアトラクションの3Dの方が驚いたくらい。
 
 なんと隣席で観ていた77歳になる母も同感で、「むかーし昔、青赤のセロハンで観たものと大差ないわ」という、ぶったまげた感想。
 膨大な労力と技術開発をかんがみても、あまりにもそれはちょっとひどいかな、とも思うんですが、原因をいろいろ考えてみて、ある事に思い当たったのです。
 
 実は私を初めとして、いい歳こいてもマンガに慣れ親しんでいる人の脳みそって、もしかしたら最初からさまざまな脳内変換、脳内補完をやり慣れてるんじゃないか、ということ。
 つまりマンガはもともとモノクロで色も音もないけど、読んでるとちゃんとイメージができあがってるんですね。
 だからこそ、原作を読んでファンになった作品がアニメになった時、ギャップに呻いたりするわけです。

 モノクロ映画もそうで、淀川長治先生の本でも書いてありましたが、色なんかついてないのに、遙か昔に観た映画のワンシーンに登場した花の色を印象的に覚えていたりするそうです。
 
 小説などは最たるもので、今のラノベのようにこまごまと絵がある場合は別として、漠然とした挿絵しかない物語でも、文字と自身の体験が融合してちゃんと風のにおいや主人公の姿も脳内に創り上げられてゆきますよね。

 当初、名刺サイズと大差ないワンセグ携帯なんかで映画なんて観てられへんわ…と思いましたが、一度やってみたら意外に気にならずに一本丸々観てしまった。どうやら、画面の大きさも脳内補完一発でそれなりに入り込めるらしいです。
 そらそうですわね、文庫サイズのマンガでも雑誌サイズでも、良い作品で世界へ入り込めさえすればコマの大きさなんか気になりませんからね。

 逆に、今のCGを基盤とする映画はなにもかも情報を創って観客に与えることで成り立っています。

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『アバター』はその頂点にある作品。草一本、石ひとつでも全部“つくりもの”。
 
 ありとあらゆる情報を作って観客に提供するという意味で、まさに『マトリックス』で主人公がネットワークからすべてを“流し込み”される仮想現実と同じスタンス。
 旧来の映画の撮影セットでもそれは同じですが、アバターの場合は3Dにする必要上、普通ならアウトフォーカスで済むはずの背景の奥の奥さえも作り込む必要がある。
 むしろ手前にあるピンぼけの物体が画面外へ出て行く時に違和感さえ感じてしまう。

 しかしこれまでの“平面”のアクション映画でも、思わず頭をよけたりしたこと、ありませんか。

 実は、2Dの普通の映画を観ていても、我々は奥行きや立体感をちゃんと脳内で補完して観ていたのではないでしょうか。でなければ、映画の世界になんて入り込めない。
 まして小劇団のお芝居なんて、同じ人が何役もし、舞台には装置すらないのに、役者の演技でその存在を感じ取るわけです。

「映画はこれから3Dになる」……それはおそらく、間違いないでしょう。
 しかし、必要かと言われたら、私は首をかしげます。

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 ある事にも気づきました。3Dのメガネをしてると、隣席の様子がまったく気にならない。競走馬の目隠しみたいに、横が見えない構造だからです。
 しかも、3Dメガネのせいでスクリーンの大きさが実感できない。
 そして5チャンネルDOLBYサラウンドで音に包まれて映画を観ている。

 ふと、思ってしまったのです。
 
 コレなら自宅でヘッドホンで観てるのと何が違うのん?と。
 
 今のヘッドホンの性能がどんなものかはi-Phoneやi-Podを愛用してる若者はもちろん、一度でも今の最新機器を体験した人ならよくご存じでしょう。
 高音から低音まで、ものすごくいい音です。四半世紀前のなどオモチャです。
 しかし同時に、ノイズがあっても気にならないのも人間の脳内補完のすごさです。
 だから古いレコードが聴ける。ラジオも味がある。

 画面の大きさも、すでに40インチを越える大画面テレビ時代ですし、たぶん3Dの方向では、電脳メガネタイプがあたりまえになる。
 昔一度作られてすぐすたれましたが、メガネを掛けたら仮想60インチ画面が彼方に見えるアレは、今の技術にかかれば仮想100インチ、そしてデジタルサラウンド、しかも周りには音が聞こえないというすごいものがたぶん数万円で手に入るようになるわけです。
 どーせ3Dはメガネが要るなら、メガネそのものをホームシアターにすればいい。

 3D映画時代は、へたしたら映画館を消滅させる可能性につながる予感を感じました。
 外れてくれた方がいい予感なんですけど。

 《その2:物語編〜画竜点睛を欠く〜につづく


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◆ブツクサ座CINEMA《ぼやき版》」カテゴリの記事

コメント

ちょっぴりネタばれですけど。。。

僕が一番驚いたのは最初のほうに出てきた、脇役がゴルフのパット練習をしてるシーンです。

あのボールがぐーっと近づいてくるところは驚きました!!!

逆にたぶん製作者側が見せたがってたと思われるシーンは結構古臭い感じもしましたね、確かに。。。

映画は立体よりやはり平面のメディアでしょうね。

オリジナルのゴジラとかキングコングの衝撃はやはり平面でしか表せないでしょう。スクリーンはあれ以上大きくできないだろうし。

投稿: ひろ | 2010.02.22 18:25

こんばんは!

うふ、辛口、バッサリ、気に入りました。そうなんですよねえ、お話はけっこうシンプル。ひねりがあんまり無くって。わかりやすーい。

それでも、パンドラの造形や、そこに住む生物のディテールは凝ってて凄い。

3Dは私も久しぶりで、あ、目の前ものをつかめそう!と感じたり、新鮮でしたが、ぶっ飛んだのは以前、IMAXシアターで観た『ダークナイト』のほうでした。バットマンが高層ビルから飛び降りるその瞬間から数秒、こっちも空飛んでましたね。画面がどっちかと言うと縦長に近くて、そこから放射されるスピード感と空間性は、今までに体験したことのないものでした。

映画館がすべて3Dの方向になるとは私は考えていませんが、どーなんやろね。

投稿: 猫式部 | 2010.02.22 21:26

こんばんは。

>もしかしたら最初からさまざまな脳内変換、脳内補完をやり慣れてるんじゃないか

いやあ。我が意を得たりです。

ぼくは子どもの頃、アーサー・ペン『奇跡の人』を観て、
サリバン先生とヘレン・ケラーが田舎で暮らすようになったシーンで、
その風景に色がついたように見えた記憶があります。
でも、それはやはりモノクロのはずで、
これはいま思うに、脳内補完の一種だったのでしょう。

実は最近『17歳の肖像』を観て、
3Dでなくとも
そこに連れて行ってくれたような錯覚をもたらせてくれる「映画の力」というものを感じたばかり。
『アバター』絶賛の中で、ぼくはこの映画がすごくうれしくなりました。

投稿: えい | 2010.02.22 23:10

*ひろさん、いらっしゃいませ!
たしかにあのシーンはボールが当たりそうでしたね!他にもしっぽだの槍だの、意識して3D向けの工夫は多かったものの、わざとらしくないのは上手いなと思いました。
個人的には最初の冷凍睡眠から目覚めるシーンの奥行き感は感動しました。
ゴジラの3D化…着ぐるみってのがバレバレすぎてしんどいでしょうねえ。むしろ平成ガメラ2や3ならいいかも。
 
 
*猫式部さん、毎度です!
いや、不愉快に思われないかと内心ハラハラで。たしかに火の粉は本能的にはらいそうになりました。
縦長と言えば、デジタルテレビが16:9になると決まった時、たしか大島渚監督らが大反対されましたね。昔は正方形画面の映画もあり、縦方向の表現も試されたのに、横長で決めつけられてはますます自由度がなくなるからという理由だったと思います。
アイマックスが縦長とは知りませんでしたが、それが何よりの証明になってますね。
もしかしたらIMAXなら私もAVATARで腰抜かせたのかなあ。
 
 
*えいさん、まさかそんなに賛同していただけるなんて…
もちろんこの素晴らしいテクノロジーを否定なんてしません。遠隔地で手術に立ち会ったりできるバーチャルリアリティへの活用、同じく月面や火星、深海作業など、ますます本当のアバターを使っての利用が実用化されるでしょうし、同時にテレビを通じてその映像が疑似体験できるなら私は率先して3Dを自宅に取り入れます。
でも、映画においては単なる表現手法のひとつに過ぎません。あくまで物語ありきだと思うので、ふたつめの記事ではもっとブツクサ言ってます。
『17歳の肖像』必見なんですね!? 今一番観たいのは、見た目の立体ではなく、心に深く彫り込まれる作品ですねえ。

投稿: よろづ屋TOM | 2010.02.23 18:40

>脳内変換、脳内補完をやり慣れてるんじゃないか
・・に賛同しようと思ったら、先にえいさんが賛同されていましたねぇ。私も白黒なのに赤い椿が見えますよ(笑)
やはりこういうのって経験値かと思います。(まぁ私ごときは大したことないけれど)。
映像は誰もが賞賛するデキと思うけれど、内容はありきたりで、なんでこんなに大ヒット?って首を傾げてますし。見慣れない人が見るからスゴイばかりなのかな~なんて言うと何様なんだけど。

今後3D繁栄期に入るのかもしれないけれど、2Dとかアナログの良さは残って欲しいと思います。
人間の目って見たくないものは見えないように出来てますし、遠近のバランスは絶妙ですよね。ハッキリクッキリだけが良いとは思わないですね、私は。

投稿: たいむ | 2010.02.23 20:34

たいむさん、毎度です!
白黒なのに赤い椿…。それは幻覚です。いや、ウソ嘘。
たしかに私くらいの年代はまだモノクロやサイレントに馴染みがあるというのもあるんですが、でも本文でも書いたように、今の若者たちもマンガなら日常的に触れています。
たぶん、マスコミで表面的に言われているほどには大絶賛ではないと思うのです。
3Dはコストがかかるので、心配するほど標準化はしないとは思いますが、テレビ放送などで2Dとまぜこぜでやられるとしんどいかもねえ。
今でも16:9と4:3が混ざってるだけでうっとおしいですから。

投稿: よろづ屋TOM | 2010.02.24 23:20

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