« 今こそガンダムと戦争を考えよう:3 〜兵士の苦悩〜 | トップページ | 今こそガンダムと戦争を考えよう:番外 〜戦争映画〜 »

2009.08.10

今こそガンダムと戦争を考えよう:4 〜戦争の終え方〜

 今週土曜日は15日、終戦記念日です。
 “終戦”と聴くたびに思うのが、近代戦にせよ馬と歩兵での戦にせよ、どんな戦争でもそれを始めた人たちは“終戦の日”を考えて始めたのだろうか…ということ。

 映画やドキュメンタリーを観る限り、未来に生きる我々はスケジュールのページをめくるように戦争を認識します。しかもある意味、ネタバレを抱えて。
 しかし今も戦争が続いている所ではいつ終わるのかは誰も知らないし、判らない。
 もしかしたらどの戦争も、とりあえず始めた…大まかな見通しや戦略はあっても、終わりは天任せ運任せだと思っていたのじゃないだろうか───そんな事を思うのです。
  
Cocolog_oekaki_2009_08_04_17_12

 あ、沖田さんでもアルムおんじでもないですよ。レビル将軍ですからね…
 

 一年戦争がどうして起きてゆくかは、アニメ版よりも安彦良和氏によるコミック『ガンダム・The Origin』に詳しく、まるで歴史ドキュメンタリーを読んでいるかのような濃厚な読感を与えてくれます。その政治色の描かれ方、人間模様の見事なこと。
 どこかの大臣も漫画好きを自称するなら、こういう作品をちゃんと読んでいたら今のようなことにはならなかったのに───それはともかく。

 今も昔も、戦争を始める側、始めることができる立場にあった人のおそらく全てが“まさか自分に火の粉がかかることになる”とは思っていなかったのではないでしょうか。
 いえ、今もタカ派というか声高に主戦論を唱える人はどこかそうではないかと思えてなりません。
 よく「負けると思って戦を始める人はいない」と言いますが、はたしてそうなのだろうかとも思います。
 なぜなら、戦史や歴史小説で観る限りでは、国や世界が戦争に突入していく時は何故か誰もが“やったら勝てる”と信じ込み、まるでその先───敗北、国の崩壊───滅亡───を意識する事を振り払うかのような考え方や流れに呑まれてゆく様子が見て取れます。

 その現象は国や武力の大小とは無関係なようで、かつてのブッシュ親子もサダム・フセインも、そしていま金正日も同じノリで“戦争ありき”として政治や経済の進め方をしています。
 そして戦前の日本も。

 たまにテレビで行われる、日本の軍備や自衛隊に関する討論。
 おそらくは年相応の子供を持っておられそうな女性議員でさえ、徴兵制や日本の軍備の必要性を説く人がおられたりしますが、私はそうした人を見るにつけ、この人は果たして自分の親兄弟、まして息子や娘が兵役に行き、『敵』の攻撃によって瞬時に肉片の生ゴミと化す可能性がある事など考えておられるのだろうかと首をかしげずにおれません。
 言い方は不適切かも知れませんが、あくまで“誰かが戦う必要性”としての机上の空論としてしか考えていないのではないかと思えてならないのです。少なくとも、ご自身で武器を取り戦場へ駆けつけて敵の前に立ちふさがるようなタイプには見えない。

 でもおそらく、こういう人たちがリーダーになると戦争が始まる。
 いや、リーダーとして民衆に担ぎ上げられれば、というべきでしょうか。そこに抗いきれない時代の流れや怖さがあるのかも知れません。

 映画ではよく軍人の子が過保護な親への反発で自ら前線を志願して散り急ぐ話も描かれますし、愛息ガルマ・ザビの死を普通の親として悲しむデギン・ザビのような光景も多々あります。
 彼ら戦争をする側の“親”はやはりその家族の戦争由来の死に直面して「まさか」と叫ぶのでしょうか。
 それともそれすらも最初から覚悟して戦争を起こしたのでしょうか。

 なにかと言えば武張ってばかりのかの独裁者も、病や寿命によるおのれの死を意識こそすれ、フセイン大統領のように三人の息子を次々と殺され、自らも惨めな最期を遂げるとまでは微塵も思っていない…いや、思わないようにしているのでしょうか。
 しかし歴史を観れば、敗北した場合の戦争首謀者はほぼ死を免れず、いわんや独裁者系の末路はご存じの通りです。

「男は負けると分かっててもやらねばならない時がある」とは某漫画家が好んで使う台詞ですが、誰かを救うための自己犠牲ならともかくも、意地のために戦争が起こり、本来護るべき大切な人々が路上に肉片となって散らばるのは本末転倒なわけです。

 そして、勝とうが負けようが絶対に戦争は終わらせなければならない。
 ガンダムがシリーズで繰り返し訴え続ける『呪いの連鎖は誰かがどこかで断ち切らねばならない』。

『銀河英雄伝説』や『宇宙水爆戦』の舞台は延々と何世代も続く戦争が創り上げている世界。そして『宇宙大作戦』でも何度かそうした設定の世界が登場します。
 しかしそれらはけしてSFだけの話ではないわけで。
 日本は今年で64回目の終戦記念日を迎えますが、朝鮮半島はいまだに『休戦』状態なのです。一見、交流がありそうな二国間も、現実には臨戦態勢で国境を挟んでいる。

 外国からいつも平和ボケの国民と言われる我々にはこの感覚は想像できません。

 たま〜に町内会の会合に顔を出す隣の人は、普通の顔をして回覧板を届けてはくれるけど、常に安全装置を外した銃口をこちらへ向けて構えている状態…と例えればいいのでしょうか。
 そしてそれが50年。人によっては親、子、孫と三代にわたるのです。残念ながら本当にSFのように戦争の原因すら忘れてしまう時代は来ないでしょう。むしろ親の仇、先祖の仇というカタチになって深く深く根付いてゆくだけ───エルサレムをめぐる攻防のように。

 いずれかが負け、いずれかが勝つまで戦争という地獄のイベントは終わる事がないのです。

 そういう意味でも、見ようによっては日本は特例的に幸福でまれな国なのかも知れません。
 ガンダムの一年戦争後もずっとジオンが後を引いてゆくように、現実世界の各地で民族独立に関しての紛争が後を絶ちません。そしておそらくはそれらはまだまだ解決しそうな気配すらありません。
 一方、いくら全面戦争が60年前以上前の事とはいえ、こと現在における日米関係やドイツをとりまくヨーロッパとの関係は本当に良好です。もっともこれは戦争の原因が宗教や民族などのイデオロギーとは無関係だったお蔭、そして日本人が長い戦国時代を経て培った“過ぎた事は水に流す”という性質、そしてドイツ人が厳しい環境の中で小国が助け合って生きてきた為に培ってきた高い論理的思考をもった希有な国民だったからかも知れませんが。
 勝ったのが逆だったら、もしかしたら今なお敗戦国の独立戦争の火種が飛び交っていたかも知れません。

 戦争は指導者かそれに準ずる立場のものが全滅するか、公式に敗北を認めることでしか終わらない。
 最後にデギン・ザビが自ら終戦工作としてレビル将軍と会見しようとしたのは愛息の死を悔やんでのことか、それとも保身のためだったのかは解りませんが、どう終わらせようと考えていたのでしょうか。
 
 イデオロギーの衝突はいわば『意地の張り合い』に近い次元だと思います。
 意地だから譲れず、意地だから割り切れない。
 そんな原因の戦争は恨み辛みの重ね合わせだから、いずれかが滅ぶまで果てる事はない。

 ずっと不思議に思っていることがあります。

 ガンダムみたいなリアル系でなく、もっと単純に『世界征服を企む悪の秘密結社』は世界を征服したあとはどうしたいんでしょう?石ノ森正太郎さんはその辺も考えておられたのでしょうか。
 百歩譲って現実世界でもしもひとつの国が世界を支配したら、日本における戦国の終結のように平和な世界になるのでしょうか。

 もしかしたらその感覚を知っているのはチンギス・ハーンと徳川家康だけかも知れません。

 次回は最終回ですが、ガンダムを離れるので番外編として戦争映画の話を。
 


-------------▲▲GoogleAdsense広告▲▲-------------

|

« 今こそガンダムと戦争を考えよう:3 〜兵士の苦悩〜 | トップページ | 今こそガンダムと戦争を考えよう:番外 〜戦争映画〜 »

◆ツッコミ一本槍☆←-o(`Д´)o-」カテゴリの記事

コメント

戦争の始まりってちょっとした小競り合いで、それが報復となり
その報復となりと……多分、今の戦争のだいたいは報復戦争なんでしょうね……
イラン・イラクとアメリカとだって911テロの報復だし、それに
宗教的な事も絡んでるんでしょうね……
徳川家も日本の天下を取った後は日本で一番安定し、平和が
長続きした時代、江戸時代ですしね。
ガンダムだって敗れたジオンの残党がアクシズになり……
戦争はいつの時代も引きずる事なんでしょうね

投稿: hiro1468 | 2009.08.11 13:19

hiroさん、毎度です。
今やってる大河ドラマは上っ面だけしか描いてないので家康も三成もみなひどい阿呆に描かれてますが、あんな安っぽい人物がその後の平和のいしづえを築ける筈がありません。
たしかに関ヶ原でいわゆる“政権”を争ったことには違いないですが、もしも三成が勝っていたら数十年経たずにまた戦国へ逆戻りしたでしょう。

その徳川政権も300年のちには世界の潮流には逆らえずに再び戦乱の中へ───
けど何故か日本の戦は相手がどこであれ、終わったらウソみたいに恨みを忘れてしまえる。
日本の場合はやはり特殊なんでしょうが、世界中がこういう体質なら世界は本当に統一できるかも知れません。

投稿: よろづ屋TOM | 2009.08.12 20:28

やっぱりお偉い方は自分には被害が来ないと重っているのでしょうか
もし負ければ逃げればいい
そんなところでしょうか
実際そんな風にしている方もおられるようですが(誰とは言いませんが)
あと、一番怖いことは喜ばしくもある平和ボケ
平和ボケしていられることはとてもいいことだと思う。つまりは平和ということだからだ。
しかし、平和ボケと言うものは戦争などの争いごとの恐ろしさ悲惨さを時間の流れにつれて徐々に忘れさせる。
そして、忘れてしまう。
それが一番自分が怖いと思っていることです。
でも、日本ではそんなにすぐに戦争の事などを忘れないのは皮肉なようですが原爆のおかげだと思います。
ほかの兵器にはない被害を被った事によっていまだ埋まりきらない傷口が有るからこそ今になってもこの時期になると戦争や原爆の悲惨さを訴える特集番組などがあるのだと思います。

とりあえずこの特集番組でもいいので戦争を知らない人は見て知って理解して欲しいと思ったりしている今日この頃。

しかしこんな事言っているのも
平和な人だけが勝手に思い込んでいる綺麗事なのかもしれませんけどね。

投稿: セトユーキ | 2009.08.15 23:33

セトユーキさん、いらっしゃいませ。

戦争を伝える特集番組には二種類あると思うのです。ひとつは、忠実に戦争というものをさまざまな角度の切り口で見せ、冷静に誠意を持って伝えようとする作品。

もうひとつは、戦争というキーワードでくくられてはいるけど、所詮はバラエティ番組と同じ骨子の愚にもつかないもの。
ゲストタレントを数人呼んで戦争体験の動画や再現フィルムに対してコメントを採るタイプのモノなどがそうです。

知らないよりは、全く番組がないよりはマシかも知れないけど「よーいキュー、はい◯◯さんそこでコメント…はいカット」というような流れでタレントや司会者が涙を流すアップが画面のすみに写ったりする番組が果たして戦争の意味を問うことができるかといえば疑問だと思います。

しかしいずれにしても、最大の問題は他人事だと思っていること。
本当の意味で過去の戦争の記録によって人の心に何かを残せるとしたら、やはりひとりひとりが自分のこととして考えてみるしかないと思うのです。
平和ボケでもいいと思います。世界中が平和ボケになって全ての武器が錆びついてしまう世界になれたらこれほどの幸福はないと思います。
ただし、戦争のことに無知ではいけない。絶対に。

投稿: よろづ屋TOM | 2009.08.16 02:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 今こそガンダムと戦争を考えよう:3 〜兵士の苦悩〜 | トップページ | 今こそガンダムと戦争を考えよう:番外 〜戦争映画〜 »