『飛行神社』をご存じ?『ぶら旅』久々に更新。
ひさびさに『京都おちこちぶらぶらよそ見旅』新ネタをアップしました。
なぜかギリシャの神殿ふうですが、間違いなく日本の神社です。
じつはここを訪れたのはもう一昨年の事。なのに、何度書いてもどうにもとりとめなくて、いつまでもいつまでも、なかなか記事をまとめられなかったんですよ。
というのは、この『飛行神社』には、ヒコーキ野郎、フライングマシーンLOVERSにとって最高にすばらしい資料館がありまして、その内容が私にとって夢のような宝の山でして。
書こうとすればするほど、コーフンするわ嬉しいわでどうにも筆が暴走してしまって…
まあ季節的にはいつ訪れてもよろしいかと思いますので、夏の苦手な私の“農閑期”?ネタとしてちょーどええかと思い、なんとかかんとかまとめ上げた次第。
■『京都おちこちぶらぶらよそ見旅』は左柱のバナーか、こちらからどうぞ。→■■■
どーです、美しいでしょ?ギリシャ神殿風の真ん中にはめ込まれているステンドグラスです。
モチーフ、なにか分かります?答えは『京都おちこちぶらぶらよそ見旅〜飛行神社〜』をご覧くださいね。
ここはその名の通り航空機関係の御霊を祀り、安全の祈願をするための神社なんですが、そもそもここを創建されたのが世界で初めて論理的な研究のもとで動力航空機の原理と設計を行った、二宮忠八という人。ご存じですか?いや、ご存じでないのが一般的なんです。
実は、実際に世界初の有人動力飛行に成功したのはたしかにライト兄弟なんですが、それもこれも二宮忠八氏が不運にも理解ある上司に恵まれなかったため。彼の前をそんな障害がなかったら、世界初の有人動力航空機の発明の名誉は日本人・二宮忠八のものだったはず。
新聞に発表されたライト兄弟の快挙の記事を見て彼はどれほど悔しかった事でしょうか。
そんな不遇にすべての情熱を失った彼を尻目に、飛行機はアッという間に数年で急速な進化を遂げて行きます。
しかし同時に次々と起こる飛行機事故、そして1914年、ついに始まる第一次世界大戦に飛行機は最高のハイテク兵器としてさらなる発展・進化と同時に加速的に人の生命を奪ってゆく事に。
やがて戦後、一念発起した彼は、航空機のために失われた生命、消えた魂のために神社を建立しました。それがこの『飛行神社』だったのです。
ここの資料館には、彼が生きた証とともに、その同時代の写真資料などがたくさん展示されているのですが、なんせカメラや写真そのものが珍しい時代、その頃の飛行機の写真をナマで見られる事など滅多にありません。
なぜ私はそんなモンを有り難がるか。そーゆー時代のお話を描こうと四半世紀も前から企んでいたからです。下の絵はその試作途中のごく一部。(クリックで拡大)
数年前にWebコミックの実験用にざっくりと描いたので絵面がアレなんですが、もともとは更に前──もう30年も前──に同人誌で通常のモノクロの漫画として100ページ位までは描いてたもの。
当時と今では当然ストーリーの練り度合いが違いますし、がんばってリメイクすべえ、と決心して色々やりかけたものの、実際問題としてこのノリで最後まで仕上げるだけの根性がわき出てこないのが現状。
(>_<)『さいえなじっく』みたいな手段を摂るしかなさそうですが───。
そんな、空を飛ぶための私の夢の欠片がここにあります。
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