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2009.05.28

バガボンド30巻、刊行。『道』を学ぶ。

Vagabond30
 
 
 ホントは明日5月28日の出版予定だったはずですが「もしや?」と思って本屋に寄ったのがよかった。一日千秋の思いで待った最新30巻が手に入りました。
 毎巻そうなんですが、もったいなくてゆっくり、ゆっくりと読んでしまいます。
 だからまだ半分しか読んでません。
 1ページ1ページ、読むごとに自分の人生に何かが得られそうな気がするのです。もちろんベースとしては吉川英治先生の作品ではあるものの、宮本武蔵、と題された作品、関連した物語は片っ端から読みふけり、フリークを自認する私としても、井上雄彦版・宮本武蔵は原作をはるかに越えた超傑作だと言い切れます。

 原作の設定を壊さず、さらに高みを目指すために大胆な解釈とアレンジを施した…というと単なる宣伝文句になってしまいますが、本来ならありえた、またこれなら納得できる武蔵像のひとつが井上版だと思うのです。
 30巻刊行を待つ間、あらためて29巻全部を読み直しました。
 ただし、順番を変え、小次郎編を先に読み、次に1巻から29巻の武蔵編、つまり関ヶ原から一乗寺下り松での吉岡一門との対決までをあえて逆に辿ってみたり。
 そうしてみて、あらためて『宮本武蔵』ではなく『バガボンド(無頼)』というタイトルの意味が見えてきました。

 そして30巻を迎え、いよいよ武蔵と小次郎という二人の主人公の将来対決が見え隠れしてくる。
 こんな解釈も初めて。吉川版武蔵では小次郎はあくまでラスボス、せいぜい究極のライバルみたいな扱いにすぎなかったから。
 ほかの武芸者たちも、これが普通の時代劇なら“斬られ役”に過ぎないはずの端役でさえ、ひとりのこらず何かを教えてくれる。
 多くの有名作家がさまざまな武蔵を描いていますが、いずれも独自であろうとして吉川版の影響を受け、また抜けきれずに未消化のように思えてなりません。
 もちろん小次郎やほかの武芸者たちの存在もそう。魅力的であっても、彼らの人生までは見えてこなかった。


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 しかし以前書いたように、井上版武蔵はこれまで描かれたどんな吉川ベースで作られた武蔵よりも年齢相応の等身大の若者が描かれているのです。
 それは原作にもない新しい表現でありながら、実は至極当然な描写だったのでまさに目から鱗、私は第一話で虜になってしまったのです。
 もちろん原作は非の打ち所のない、昭和初期における傑作文学であり、私の座右の書でもあります。だけど、吉川英治先生がひとりで考え、ひとりで書き上げているからイマジネーションや練りに限界もある。
 そして今に生きる私たちは、これまで描かれたさまざまな武蔵を観てきた。

 先日、名匠・内田吐夢監督、中村錦之介主演による東映映画の宮本武蔵五部作をBSで見直す機会に恵まれましたが、内田監督は“どれほど技に優れようとも、人殺しの技である限りそれがいったい何になるのか”というスタンスで描いていることが、最大のクライマックスである巌流島での決闘の後に手を見つめながら「所詮は血塗られた技か」とつぶやく武蔵によって壮大な物語が終わらせて観客に訴えかけてくる。
 ある意味、たいへん虚しい物語になっているのが特徴です。

 ですがこの考え方はおかしい。言い方は悪いですが、甘っちょろいのです。
 まあ、日露戦争から第一次・第二次大戦…と見てきた世代の監督にしてみれば、人が人を殺すという異常な行為に無意味さと怒りを覚えて当然なんですが、人が人を殺すための武器、それが刀。バガボンドの話中でいみじくも本阿弥光悦や沢庵が語るように、繰り返し出てくるこの矛盾。
 勝ち負けをどうこうし、次がありうるスポーツではない、殺人を最終目的とした技の研鑽。
 それはまさに究極の一期一会。
 これは異常です。動機自体が狂っている。しかし実は剣豪の半生を描く上で最大の命題であるこのことは、吉川版武蔵でさえ棚上げされている感があるのです。だから内田監督は上記のような自分なりの解釈で武蔵を描いた。
 これまでドラマ化されたどの武蔵も同じです。

 原作のラストでは、斃れた小次郎を前に、すぐれた相手との戦いそのものに武蔵の思うところは多いものの、その内容には言及せず立ち去るシーンとなり、巌流島決闘のその後は諸説あるが「誰が知ろう、百尺下の水の心を、水のふかさを。」と読者に投げかけて終わっている。
 この終わり方の是非はともかく、実は私もある意味納得できないままぶつ切り的に終わっている事には違いないと思うのです。

 しかし、井上版ではさらに一歩も二歩も踏み込もうとしています。
 20巻は小次郎編ですが、通りすがりでしかない関ヶ原の落ち武者と小次郎との、ハタから見れば無意味で未来のない斬り合いのクライマックスで巨雲(こうん)という大柄の武者の、喜びにあふれながらの台詞は印象的です。
「俺と出逢えてよかったなあ!…小次郎。俺たちは、抱きしめる代わりに斬るんだな。」
 鳥肌が立ちました。
 そして武蔵編でも、原作では死ななかった者が斃れ、その逆もあり、その戦いの中で武蔵が得てゆく事、失うものはとてつもなく巨きい。

 でもそれはもちろん吉川版がベースとしてあったからこそ、そこからさらに上を目指せたのだと思いますが、そこに私は感動のあまり涙さえ禁じ得ないものを感じます。
 それはまさに『道』を極めんとした、武蔵の姿そのまま。

 いや、『道』を目指し、『道』を極めんとした、もしくは極めようとしている、あまたの人々の背中を感じるのです。

 それは巻を追うごとのバガボンドの絵の進化に如実に表れている。

 というのも、この作者・井上雄彦という人の絵は、巻を追うごとにどんどん漫画の域を超えているような気がするのです。
 画集として『墨』や『WATER』なども出されていますけど、この人ほど一本一本の線に“道”を見出し求めている漫画家を見た事がありません。

 もちろん私の大好きな浦沢直樹氏も一本の線、ひとコマの絵に重きを置き、意味を徹底的に突き詰めて描く作家のひとりです。
 ですが、むしろ浦沢氏の場合は芸術家、映像アーチストとしての『画』の追求であるのに対して、井上雄彦氏の場合はまさに宮本武蔵が剣以外にも彫刻や書画に並々ならぬ才能を発揮し、そこにまた『道』を見出していたように、一本の線、ひと筆の塗りになにか道を見出し、また求めているように思えてならないのです。

 漫画、という名称はそういう意味では大変不利だと思います。
 書道、書画、華道、茶道、いずれも名前を聞くだけでも高尚な、敷居の高い、そして芸術の薫り高いイメージがついてまわります。
 しかしどれほど漫画に道を求め、どれほど素晴らしい物語、絵を描こうとも、漫画というカテゴリーは大衆文化と呼ぶにもさらに低いイメージを感じずにいられないのは、あながち私が永年味わってきた「なに?漫画なんか描いてるの」という蔑視に対するヒガミや引け目のせいだけとは思えないのです。

 かつて劇画という言葉が誕生した頃、手塚治虫先生はあえて「私のは漫画です」と言い放ち、あくまでこだわられたといいます。
 いろんな意味で漫画という言葉や文化ジャンルが日本よりも欧州でこそその真価を認められている所は、かつての浮世絵の例を見るまでもないように、日本が自国の文化の真価に疎い阿呆な悪い部分ですが、もし将来、漫画文化に道を求めた作家の第一人者を指す日が来るとしたら、井上雄彦氏をおいて他にないと思うのです。

 きっと氏は「ただのエンターテインメントですよ」と仰られるに違いないけど、それはそのまま「天下無双とは、ただの言葉じゃよ」と言い放った柳生石舟斎と同じ重さを感じずにいられません。
 
 『バガボンド』こそ、まさに平成の『五輪の書』『独行道』だと思います。
 こんな素晴らしい作品に出逢えた事。(-人-) ありがたし。
 

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コメント

こんばんは
わたしも『バガボンド』、いま日本で一番面白いマンガの一つだと思っておりますよ。もっぱら雑誌でおっかけてるクチですが

井上氏がスポーツ好きなせいか、スポーツマンからの視点が感じられるところが興味深いですね。最近の展開など特に

また人によっては幾らでも暗くなりそうな題材を、井上氏が書いてることでカラッと明るくなってるところも好きです。吉川武蔵最大の問題箇所である一乗寺下り松での「子共殺し」を、さくっとスルーしてしまったのも、その表れではないかと

浦沢氏とは、凡人の書き分けがうまいところも似ていると思います。特にジジババ(笑)

投稿: SGA屋伍一 | 2009.06.03 21:04

SGA屋伍一さん、いらっしゃいませ!
嬉しいなあ、これにコメントくださるとわ。ヽ(´∀`*)ノ
一乗寺もそうですが、その逆に吉川版では隻腕となってのちに一族の菩提を弔う僧になるはずの清十郎がああだったのにまず驚愕しましたし、宝蔵院胤舜があれでしたから…。
この巻で宍戸梅軒と竜胆のその後にショックを受けました。
この調子だと小次郎とのことも絶対いい意味で裏切りまくってくれそうですし、こんなすごい作家の作品が読めて本当に有り難いと思います。

そう、凡人!いいですよねえ、いずれもエキストラを本当に大切に描いてくれますよね。だからこそメインキャラが活きますし。
それにしてもお杉婆のにくたらしいことよ…まあどの作品でも彼女はそういう上手いヒトが演じてましたけど、あの顔は描くのめんどくさいでしょうなあ。

投稿: よろづ屋TOM | 2009.06.03 23:45

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