百の褒め言葉よりもうれしいひと言。
先日の事です。初めての方から丁寧で嬉しい長文のメールをいただきました。
ふだんから私のホームサイト『TOMZONE-S SHOW』と周辺ブログの記事を色々とご覧になってる方のようで、ことに京都コンテンツ『おちこちぶらぶらよそ見旅』と、それ以外のあっちゃこっちゃに描いてあるイラストをひどく気に入ってくださって。
その方は私の絵や文章のことを“すごく好きだ”とおっしゃってくださったんです。
いつもお世話になってるビタミン店長さん、もこねえさん、さくらさんも絵が替わるごとに「好きだ!かわいい!」と仰ってくださり、そのたびにエエ歳こいたオッサンは床にのたうちまわって喜びにはしゃいでおるんですが、マジな話、どれほど褒められるよりも「好きだ」と言って貰えるのが何よりも嬉しいのです。
親も含めて、これまでもいろんな方から身に余るお褒めの言葉なり激励の言葉(もちろん寸評や叱咤もですが)もいただいてきました。
もちろん、褒めていただく事も嬉しいには違いないんですが、でも、「上手いこと描けたやんか」とか「良くできたね」という賛辞よりも、「可愛いなあ」とか「この絵の◯◯なところが好きだ」と言われるほうが数倍舞い上がってしまいます。
ひねくれた受け取り方かも知れませんが、“褒める”という行為は、何かと比較して優れた部分を指してすることだと思うんです。
それはとりもなおさず、例え今同じところには存在しなくても、“それよりも劣った”なにかを想定して比べている───言い方を変えると“勝負”しているわけで。
その比較対象が褒めている本人を含む誰かの作品であろうと、その作者本人の作品との“過去比”であろうと、まず“技術的優劣ありき”としての言葉なのです。
常に技術面等で自信がないために、褒め言葉をその額面通り受け取れないひねくれ者の自分としては、どう褒められたとしても複雑な気持ちがぬぐえないんですね。
だからでしょう、褒められれば褒められるほど自分を疑い、どこかでモヤモヤした気持ちが溜まっていって、かえってしんどくなって行くのは。
M属性でもS属性でもありませんが、むしろ欠点や失敗点を指摘された方が自分的には納得できたりします。
ああ、やはり人にもそう見えるのか。自分の眼は間違ってなかったな、と。
“そのようにできなかった”という後悔は生まれても、それは次のステップにつながってゆく進歩の足がかりになるし、それでモヤモヤしていた迷いに対する一筋の光明が射すわけです。
たぶん私みたいに、なんか作っては人に見せる…なんて事をしてる人はみな同じだと思うんですが、よほどの自信家、たとえプロでも第一人者でも、“自分はなんて上手いんだろう”なんて心底から思ってる人は居ないんじゃないでしょうか。
もちろん、人前ではハッタリなり虚勢なり、いい格好して「オレは天才だから」「努力してるから」と自信満々に見せてる人はいます。
また、自分自身に拍車を掛けるために「オレは天才だ、オレならできる」…そう自分に言い聞かせて前向きにもってゆく人もいます。
けれど、本当の自分自身と向かい合ったときにそれを言い切れる人はいない。
居たとすれば、その人はそこがゴールラインであり、その人の限界点だと思う。
少なくとも、作品のどこかには不満が残っている。自分の未熟で未完成な部分にやりきれないジレンマがあるからこそ次に挑む気になれるわけで、その先にまた別の挫折が待っていても、少なくとも前には倒れ込めているんじゃないかしら。
たとえそれが意地とかこだわりというものだとしても。
その点、「好きだ」という感想は理屈と言うよりも情緒と感情による査定。
そもそも“好き嫌い”は個人々々の好みに起因することだから、おなじ比較でも優劣とは意味が違ってくる。
たしかに複数集まると「◯◯よりも◯◯が好き」という順列が発生するけれど、対象ひとつに対しては単純にむき出しな好みこそが査定規準なわけです。
ありがたい事に、この世の中に“誰もが好きなもの”なんて絶対にないのと同様に、どんなものでも、それが大好きだという人が必ずどこかにいる。
当然、私の描く絵や文体が見るに耐えられないくらい嫌いな人だって絶対いるわけで、その好みの対極に居てくださる方が私の絵でいい気分になってくださるんなら、それが私にとっての救い。
そこには技術的な優劣という論理面よりも、共感と共鳴という感情面による心地よさある。
なによりも、私の創ったものを観て喜んで貰えるなんて、こんな素敵な事はありません。
私の作品で喜んだ人の喜びがすなわち私の喜び、生き甲斐、存在価値になるわけで。
なんのこっちゃない、ゲー術とか作品とかクリエイティブとかエラそーに言ってても、やっぱしこれって一種のサービス業なんでしょうねえ。
あまり賞とか獲ったことのない勝負事に弱い私の負け惜しみかも知れませんが、コンテストで一位を取る喜びよりも、ある人から「あなたの作品が大好きです」と言われた方が魂に響くのはそういうことなんでしょうね。
あれ?「記録より記憶に残るナントカ」みたいなのと同じかな。
ありがとう。私の創る世界を好きになってくれた人。
ヘタレですぐ座り込む私ですが、しばらくはまたがんばれそうです。
感謝をこめて───。
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コメント
私の愛するギタリスト様が昔、素人の耳ほど怖いものはない。テクニックや機材、理屈ではなくストレートに感情をあらわすからだ。また、だからこそ「好き」と言われるとたまらなく嬉しい
…と言っていたのを思い出しました。
最近、うまいしキレイなんだけど、魂が感じられない絵を描く人が増えたように感じます…
私はTomさんの文章、Tomさんの絵、大好きです(≧∇≦)♪
投稿: モコねぇ | 2008.12.10 07:02
もこねえさ〜〜〜ん。
ヒ~~~ン(TдT) 泣いていいですか。最近は『ナイトスクープ』の西田局長なみに涙もろくていけませんわ〜〜〜〜〜〜
これからも魂こめて生命削って書いて描いて精進してゆきますですよ。
投稿: よろづ屋TOM | 2008.12.10 10:02
こんにちわわ。萌え師見習いのさとらんです。
なんかスゴク分かります!!
さとらんも絵を「上手い」って言われる(あまり言われませんがw)より「萌え」って言われたほうが超うれしいです!!
さとらん自身も職業柄レベル高いものを色々見てきているので、技術云々で絵を評価する事はあまり無いです。
カッコイイかカワイイしか受け付けません。おしゃれな絵とか興味ないんで。範囲狭って言われても気にしませんw
さとらんも(気合だけは)負けないように頑張ります!!
投稿: さとらん | 2008.12.10 19:34
おおっ、さとらんさん!
お世話になっておりマルチーズ。(これって親父ギャグなのか…?)
萌え師、って称号があるんですか。いや、あるんでしょうね。すご。
うーむ、意識した事はありませんでしたが、そういえば私の絵は萌えか?といえばたしかに違いますもんね〜。
それでTINAMIでもイマイチ支持率が低いのかも。
自分で描いてても「か、かはひひ〜」と思うときはあっても、それは“萌え”ではないですし。
ま、いいか。あくまで彼女らは私の娘であると同時に、私の紡ぐ物語を演じてくれる女優さんですから。
あ。そうか。アイドルが“萌え”の方向性なんですね。
投稿: よろづ屋TOM | 2008.12.11 18:29
好き、って言葉は、ハートから出てくる言葉な気がする。
だからダイレクトにハートに響くのかなぁ
TOMさんのお嬢さん方のどこが好きって、みんな気立ての良さそうなお嬢さんなんですよ(^-^)
平面の紙の上の存在なのに、とてもイイ娘さんだなぁ〜って感じられるの。
だから好き*^ー^*
投稿: ビタミン店長 | 2008.12.11 22:04
店長さん、毎度です〜〜〜。
な、なるほど〜!気立てがいい、ですか。そうかもしれません。
とにかく彼女らを描く時は絶対に温厚で素直な気持の時でないと描けませんもんね。
イライラしてたり、不安があったりするとてきめんに線や色使いに出てくるんですよ。だから不本意な仕上がりの時は、あとで考えてみるとやはり心になんらかの“ゆらぎ”があった時なんですよね…
これからもお褒めにあずかれるようにがんばりますです。
投稿: よろづ屋TOM | 2008.12.14 13:50
きゃー(≧ω≦。)!!直描きの線画!!
すごい…美しい、かわいいです~(感涙!)
TOMさんのイラストも最高なんですが
そこに込められてるメッセージというか
シュチュエーションが最高に好きです!
あれ・・・?なんだか書いてらっしゃる記事に心当たりが///自惚れだったらすいません、恥ずかしっ(〃ŎдŎ〃)
投稿: 田ノ上 都 | 2008.12.15 10:51
おお〜、都さん、ついに来てくださいましたね!
なんやかやで凹んでたのでコメ返しが遅れてすみません。( ̄〜 ̄lll)
≫かわいいです~(感涙!)
でしょ〜、可愛いでしょ。嬉しい気持いっぱい貰って絵を描くとこんな風になるんですねえ。
いや、喜んでいただけて光栄です。m(_"_)m
投稿: よろづ屋TOM | 2008.12.19 01:43