« タクシーの日 (今日のテーマ) | トップページ | 放電してる場合ぢゃないらしい »

2008.08.06

『ミラクル7号』やっぱりシンチー、愛がない。

Cj7miracle7 いえ、楽しみにしてたんですよ。予告編観て。
 で、同時にあまり期待もしてなかったのも事実。私は拙作の映画ブログ『よろ川長TOMのオススメ座CINEMA』の『ドラゴン・キングダム』の記事内で言い切ったように、“好きですが、心に残らない”作品しか撮れない監督で俳優だからです。

  

 
 話は予想通りだとか、先が読めるとかはいいんです。それは作品としての欠点じゃない。
 だけど、主人公たちの行動や言動に必然性がないのはどうしてもひっかかります。

 お話はシンプルそのもの。
 清廉潔白だけど貧乏な父子がいて、ある日父親がゴミ捨て場からオモチャだと思って拾ってきたものは宇宙人が置いていった犬のような人形のような“モノ”だった───
 あとはそのモノと子供との心の交流を軸に、父親や周りのキャラとのカラミを描くというもの…なんですが、ひとつすごくひっかかることがあるんです。

 それは、チャウ・シンチー演じる父親はともかく、主人公である少年ディッキーと宇宙から来た“ナナちゃん”と名付けられたそれとの交流にまったく“愛情”が感じられなかった事。

 たぶんチャウ・シンチー映画全般に言える事なんですが、彼の描く“愛”はとにかく一方的。相手から愛されて当たり前、自分からは愛さないんですね。
 だから少年、ナナちゃんに対してとにかくワガママ放題、身勝手邦題。まして目下というか子分扱いの“ナナちゃん”相手だともう無茶苦茶。理不尽以外の何者でもないんですね。
 そういうのが子供の常とはいえ、あまりの身勝手さに観ていてこっちがムカツクほど。

 結局、ナナちゃんが生命を賭けて二人の幸福を守るんですが、ラストも実に気に入らない。
 作品全般を通じてパロディだらけなんで、オチもきっとアレのオマージュだと思ったんですよ。だって、人形に戻ったナナちゃんをしばらく嘆いていたけど、ついには何かを決心して勉強し始めたから。
 そこで終わっていたら、きっと好きな映画として記憶に残ったはず。

 だけどそのあとに付け足しみたいにエピローグがあって、人形に戻ったナナちゃんの事を忘れたように全然別な展開のラストを迎えてしまう。そのせいで、いくらいいように解釈したくても、少年にとってのナナちゃんは一体なんだったのかって思ってしまいます。たとえ宇宙人のオモチャであろうと機械であろうと、自分を慕うものに対して淡泊すぎるにも程があるんですね。いえ、もちろん最初は悲しんでいるんですよ。
 でもあのラストを観てしまうと、それは結局自分が寂しい思いをしたためだったとしか取れないんですね。ナナちゃんに対する思いやりの心なんかでは決してない。

 そんなハッピーエンドなんてある?

 結局、チャウ・シンチーは自分しか存在しない映画しか撮れないんですね。うわべだけのドラマばかり。偽善だらけ。だから感動できない。彼には心に残る映画なんか永久に撮れないでしょうね。
   


ふむ、なるほど、と思われたら▼▼ブチブチッとクリックお願いします。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ にほんブログ村 映画ブログへ

|

« タクシーの日 (今日のテーマ) | トップページ | 放電してる場合ぢゃないらしい »

◆ブツクサ座CINEMA《ぼやき版》」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« タクシーの日 (今日のテーマ) | トップページ | 放電してる場合ぢゃないらしい »