これが401件めの記事。
驚きました。この一つ前の陰気くさい記事が400件めの記事だったなんて。そんなにウダウダ書いていたとは自分でも驚きです。
やばいなあ。それなのにどんどん消耗していってます、やる気エネルギー。
いわゆるスランプ状態なのかも知れませんが。
いや…違うなあ。
スランプってのはやる気はあるのに空回りしてるわけですからね。
残り少ない時間に、わけもない焦りと不安だけはあるんですけど…なんかスイッチが入りません。
こまったもんだ。(;´д`;)
ああ。あかんわ。どんどん何かが消えていく───
ある意味、ここで書いている事は綺麗事です。読んでくださる方がどれほどおられるのかは想像もつきませんが、少なくとも読まれる事を前提に言葉遣いや内容を考えているからです。
でも、それは世界中不特定多数の人が誰でも読む事ができる世界へ好き勝手に言葉を発信するものの最低限のマナーであり当然のエチケットだと思うので守る事に抵抗はありません。
私の仕事は広告。
本来は、人に告知したい事柄をより効果的に伝えるためのお手伝いをするのが務めです。
依頼者がそうした事に慣れていない時はなんとかして多くの人に知って貰いたくて、誠心誠意、本当の事をちゃんと打ち明けてくれるんです。
が、人間は哀しいもので、それに慣れてしまうと、そのうち実は宣伝すべき事などほとんどない状態になっても、何か宣伝しないといけないと思うようになってしまい、目的もネタもないのに無理矢理宣伝しようとしてしまいます。
そうなると、どうしても小さな事を大きく、大げさに誇張しなければならなくなってゆきます。
誇張はやがてウソになってゆく。
そうなった広告というのは、ウソばかりです。それを作る広告屋はいわば嘘つきが仕事ということです。しかも人を騙す前に、自分を騙すことから始める。自分を騙さないとウソの宣伝文句なんて出てこないから。
しかし、これはフィクションですよと前提してのウソは許されますが、告知にウソがあってはならない。安くもないのに、安いですよと連呼する。古いのに新鮮ですよと欺いてゆく。
誠意のない言葉ばかり綴る、誠意のない毎日と生き方に疲れてます。
せめて、嘘をつけと求める依頼者のいない、自分が好きに書く文章には嘘をつきたくない。
綺麗事しか書けなくても、これからもここでだけは自分にウソをつきたくない。そう思います。
私の書く文章を読んでくださる、いつもの優しい人たち。そしてまだ言葉は交わした事はないけど、ROMってくださる人たち。または、はじめて読んでくださった人。
これからもよろしくおねがいします。まだもうしばらく生きて、書いてゆきます。
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