『棚からひとつかみ。』その1
以前、ウチの蔵書───というと偉そうですが、要するに私は一度手に入れた本は棄てることも売り去ることもできないんで勝手に貯まりまくっただけのこと───本たちの話を書いたとき、さくらさんやもこねえさんが興味を示してくださったんで、自分のメモリーの回顧にもなることなので、ぼちぼちと紹介してみようかと。
その1は、やはり私にとって忘れられない転機のきっかけになったこの作品『はみだしっ子』。
今を去ること30年前。高2の夏といえばフツーは進学だの受験だのでいっちゃん大変な時期の筈ですが、そーゆーことに無関係なアホの子の学校だったんで、なんと高校生にもなって臨海学校があったんです。
で、兵庫県は日本海側のとある小さな町の民宿に一学年まるごと数人ずつに分けて分宿という不思議なやりかたで数日を海辺で過ごすことに。
なーんもないんです。海以外。部屋には一応テレビもあったと思いますが、たしかチャンネルを廻しても廻しても同じ番組しかやってなかった。で、臨海学校というふれこみなんで、とにかく泳がされるのが日課。どんなことさせられたか、中日(なかび)に一度あった2kmの遠泳以外もう憶えてませんが、とにかく朝から泳がされまくってたんで、民宿に帰ってきたらもおヘトヘト。
遊びで泳ぐのとは違うからぐったり度が違う。昼ご飯のあとはマジで野郎共がごろ寝状態で昼寝してましたね。しかも野郎ですからだらしない。砂がついたまんま平気で畳の上でころがってたから、今思えばさぞや畳もよく傷んだことでしょう。
さて、だからといってそうそういつも寝ていられるものでもありません。睡魔もさることながら、退屈も敵。ふと見ると押し入れの下段の隅に漫画雑誌が積まれている。
これがすべて少女漫画雑誌。何号にも渡る数の、月刊&週刊マーガレット、月刊少女コミック、週刊少女フレンド、りぼん、なかよし、さらに花とゆめ。
まず間違いなくその民宿の娘さんのものでしょう。もちろん野郎が多数泊まり込んでる民宿ですから、どっかへ避難させられていてその女の子は姿など見ることも叶いませんが、そんな“女の子の痕跡”に興奮するヤツもいました。けど超奥手な私は、それまで漫画などほとんど読まなかったのに、先入観で頭の中に焼き付いていた“お目々キラキラのお人形さん漫画”のイメージとは異なる絵面の表紙の方に興味を持ったんです。
今考えたらあの民宿の娘さんは漫画マニアか、そうでなければ漫画家を目指してたんじゃないでしょうか。もしかしたらプロになっている人かも知れない。
気づくと私は、ちょっとした本屋の軒先なみに揃った少女漫画を片っ端から読みふけってました。
少女漫画を読む少年をひやかすガキンチョ精神のクラスメートがまだ居るような時代でしたが、私は晩飯だと声がかかっても気づかないほどにのめり込んでました。
中でも衝撃を受けたのが花とゆめに連載中だった、三原順氏の『はみだしっ子』。
癖のある絵はたしかに一瞬ためらいましたが、驚いたのは斬新なコマ割の手法。少年漫画や青年コミックは今もそのへんが雑です。イマドキのひどいものなどは全ページ裁ち切りで演出もクソもあったもんじゃない。
でも三原さんはコマの形や組み合わせ、キャラクターの視線やフキダシの読ませ方などを巧みに組み合わせて、絵画における目線移動を漫画に転用してるんですね。そのおかげで、まるで優れた映画における見事なカメラワークを見せられているような気になる。
このことだけでも感動したんですが、内容がまたすごい。
四人の少年、いや少年と言うにも幼い子供たちが何故か自分たちだけで行動し、自分たちを受け入れてくれる“愛してくれる大人”を探すというコンセプトは衝撃的でした。
しかも彼らの言葉は子供の口調でありながら、その内容は辛辣そのもの。当時下品なギャグものと内容の薄い愚にもつかない作品がほとんどだった少年誌と比べるまでもない、高いと言うにはあまりにもハイクラスなレベルにまだ17歳の私が受けたショックは“目から鱗”“開眼”というにふさわしいものでしたよ。
私が出逢った頃の『はみだしっ子』はコミックスで言えばまだ1巻くらいだったので、四人組もまだ幼く、純粋なこどもらしさも残っていましたが、物語が進むに従って彼らも成長し、重ねられるエピソードの中で、彼らの過去───といっても生まれて10年に満たないキャラもいる───も描かれ、何故子供たちだけで行動しているのかという四人それぞれの理由も見えてくる。
さらには当初の目的にもウエイトが加えられて、当初は単に“自分たちを愛してくれる大人”=“本当の意味での親”探しだった目的も、人と人が共に生きるということの意味を考えさせられる内容になって行くのです。
全体を通してのテーマは人と人の関わり方であり、その関わりの中でまきこまれる事件や“しがらみ”のせいで次々と新たな心の苦難に立ち向かってゆかねばならなくなる彼らの姿はあまりにも痛々しい。
さらに彼らが年齢を重ね、回を重ねて行くにつれて(といっても年長のグレアムでさえ12〜13歳だったように思うのですが)どんどんネーム量が増え、さらに難解で哲学的な表現や隠喩が豊富に盛り込まれてゆくために、そこで「引いてしまった」という人もおられたようで。
しかしゴーヤが苦いが故に美味いように、それがこの作品の文学的で哲学的な魅力だったのもいなめません。ときとして宗教論にまで言及する過激とも言える姿勢に私はどんどんのめりこんでいきました。
彼らの生きざまは見ていてつらい。苦しい。哀しい。生活のつらさではなく、繊細が故に心が傷だらけ、血まみれになる苦しさ。だけどそれをひとつひとつ、ときに解決し、ときに妥協点を見つけては前へ進んでゆく彼らの姿に共感し、勇気を貰うのです。
社会という海を人生を賭けてひたすら不器用にかきわけて泳いでいかねばならない我々そのものの投影なんですね。
ショックだったのは、三原順氏が1995年に42歳の若さで病没してしまったこと。そのことを知ったのは亡くなってから数年してからだったので呆然としたことを今も憶えています。
いま、この傑作『はみだしっ子』はウィキによると花ゆめコミックスとしては絶版だそう。文庫版としてなら入手できるそうです。
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コメント
この漫画は知らないです。
あたしの知ってるのは「月の子」ですね。
清水玲子作品はだいたいあります。
それにしても民宿の娘さん。
その当時の少女漫画ほぼ網羅してたんじゃないですか?
すごい!
逆にね。
親戚宅のお兄さんが、読んでた少年漫画を初めて読んだ時は、衝撃できたね。
ハレンチ学園だし(笑)。
火の鳥の雑誌とか。
今思うとあの雑誌欲しい・・・。
投稿: さくら | 2008.07.28 00:11
あー。よかった。くいついてくれはった…(T_T)
こんなネタやろうと思ったんは、さくらさんやもこねえさんが「後ろが気になる」って振ってくれはったからですからね。
いずれ出てきますが、私も『ワイルドキャット』1巻までは買ってたんですよ。でもその頃リストラに遭って漫画なんか買ってる余裕なくなりましてね。
≫その当時の少女漫画ほぼ網羅してた
そう。結局どんな人か判らずじまいですが、私にとっては運命の女神。(女性だと信じてますけどね。男なら民宿から待避はしてなかったはず…いや、そうであってくれ。)
さくらさんが言うところの『火の鳥の雑誌』はたぶん朝日ソノラマの『マンガ少年』でしょう。ふふふ。数冊ですが、ありますよ。
だって『地球へ…』も『アタゴオル物語』も高橋葉介の連載もありますからね。『LaLa』と『ASUKA』の創刊号もあったりして。
投稿: よろづ屋TOM | 2008.07.28 16:16
ゆっくり読んでいなかったわ・・・。
ゴメンなさい~。
TOMさんもっと漫画あるんでしょっ!
出しなさいっ!
投稿: さくら | 2008.07.28 17:53
≫ゆっくり読んでいなかったわ・・・。
えーえー、どーせダラダラ長いですよ〜〜〜(つД`);;
≫TOMさんもっと漫画あるんでしょっ!
せやから第二弾『ピーナッツコミックス』も書いてるでしょ。そっちも読みなはれ。もちろん『棚からひとつかみ』はこれからでっせ。
投稿: よろづ屋TOM | 2008.07.29 01:14