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2008.06.12

水野晴郎氏、逝く。(;´人`;)

Haruomizuno

 

 去る6月10日、水曜ロードショー解説者で知られた、映画解説者・水野晴郎氏が亡くなられましたねえ。76歳なので私の親と同じ年齢です。

 

「こんばんわ、水野晴郎です。さっ、今夜は…」と、まるでえべっさんそのまんまな福々しい風貌でイキイキと楽しげに解説されてた姿が思い浮かびます。
 あとで聞いた話では、けっこうな上がり症で、なかなかディレクターのキューに順応できなかったとか。今にして思えばあのテンションの高さはそういう所から来ていたのかも知れませんね。
 もっちろんお逢いしたことはありませんが、今日はちょっとそんな水野さんの思い出話など。
  
  

   
 ふつう映画解説者や評論家というのは観客と作り手の中間の存在という感じで、観客同様に映画を観るクセに、気分・気位としては作り手側にいますよ、って顔をしてるもんです。
 そういう意味では我が心の師、淀川長治先生は誰も経験したことのない体験と人脈で映画の歴史が淀川先生の人生そのものであり、ために、語られる話の元ネタはほとんどが誰も真似のできない高みから下ろしてこられるものなので、いわゆる評論家とか解説者などというカテゴリーでは分けられないんですね。
 だいたい、たいていの名監督や名優と顔なじみだったり、歴史的映画の撮影現場に居合わせたりされたんだから誰にもかなわない。そんなわけで淀川先生の場合は別格で、観客や作り手のいるステージより上の次元から映画というものをご覧だった気がします。

 

 その点、水野晴郎さんは、ご自身が優れた宣伝マンであると同時に、ひとりのめちゃくちゃ熱心な映画ファンという色彩が濃かったように思います。つまり、むしろ我々観客の目線に立っての解説をされた人だったと思う。
 たしかに淀川先生もユナイト映画の宣伝マンでいらしたわけですが、なんせまだ日本に海外映画の配給会社ができたばかりの頃に、映画の宣伝なんて誰もやったことのない職種の中で先鞭をつけられた方のお一人なワケですから、おのずから現代とはもちろんのこと、水野さんが現役だった頃とも手順も手法も全然違ったかと思われます。

 

 むしろ、水野さんの時代のほうが今のやり方に近いと思うんですね。ただし、今の配給会社みたいにウソや的外れな宣伝はされなかった。私も一応同じ広告屋としての眼で当時のポスターなどを見ると、タイトル、コピー、レイアウト…どれをとっても、とにかく映画ひとつひとつの魅力を引き出すことに尽力されていたようです。

 

007drno

 

『僅かなドルのために』なんて原題の映画を『夕陽のガンマン』なんてタイトルにしたり、まだ誰も知らなかった007のポスターを見て物足りなく思った水野さんは、ワルサー拳銃を握った自分の右手を合成してあの有名な『007は殺しの番号(再公開時はドクター・ノオと改題)』のポスターを企画したという実に柔軟な発想の持ち主。
 そのタイトルにしても、ドクター・ノオでは解りませんわな。たしかに「なに、これ」って思うのは『殺しの番号』でも同じですが、当時見慣れない自動拳銃をカッコ良く手にする日本では知られていなかった俳優・ショーン・コネリーの甘いマスクに『殺し』とくれば意味づけの強さが断然違ってくる。
 巧い。じつに上手い。

 

『The Longest Day』を『史上最大の作戦』としたのも水野さん。今だったらまんまか、直訳するところなんでしょうねえ。『LOVE』を『恋愛』という造語に訳した福沢諭吉大先生じゃないけど、あらためて翻訳という意味を考えさせられます。どやさ、戸◯奈◯子。

 

 チャレンジ精神が旺盛な上に、映画が好きで好きでたまらないからこそ、どうしたら観客にその映画の本質が伝わるか…を常に考えて宣伝を計画していった経験が、あの水曜ロードショーの解説に繋がっているんではないでしょうか。
 だからそんな水野さんの解説の良さは、現地で仕入れた撮影の裏話もさることながら、むしろ作り手がインタビューでは語っていなかったにもかかわらず作品中でキラリと光る工夫や見どころを見つけ出して視聴者に「ここをご覧下さいね」と的確にツボを教えてくれるところ。

 

 そしてファンだからこそ、映画を見終わったあとに出てくる“締め”の言葉。ご自身がなにかのインタビュー番組で仰ってましたが、一応三段階あるのだとか。

 

(´o` )「いやあ、映画ってほんっとに面白いですね。では、また来週」が一般としたら

 

ヽ(´∀`*)ノ「いやあ〜、映画って、ほんっっっとにいいもんですね。では」が上級、そして

 

ヽ(≧▽≦*)ノ「いやあああ、映画って…ほんっっっっっっとに素晴らしいもんですね。」が特上だそうな。

 

 ちなみにその時水野さんが仰ってたベスト1は『風と共に去りぬ』。そのときでもう何十何回見たのかを正確に仰ってたことを覚えています。

 

 同じ番組だったと思うんですが、そんな水野さんもさすがに『水曜ロードショー』の解説役の話が来たときにはかなり引き受けるかどうか悩まれて、引き受けるとしても、どのように解説したらいいでしょうかと淀川先生に相談されたそうです。
 そしたらあの淀川先生に一喝されて、自分の甘さに気づいて目が覚めて映画解説者となる決心をされたのだとか。

 

 しかしこのインタビュー、なんせ昔に一度見たきりな上に、いろいろ調べたんですが他にこの事を書かれた記事も見つからず、果たしてどんな内容でどう叱られたのか、などはもう思い出せないのが残念です。はて、『徹子の部屋』だったのかなあ。
 「映画って…」という決めぜりふ、やはり最初は本当にふっと出た言葉だったとか。このあたりも、映画好き、映画そのものを愛してればこそというエピソードだったんですね。

 

 今頃は先にあちら側にいってる大俳優たちを前に緊張を隠しきれずにおられるのでしょうかね。

 

 (T人T) ご冥福をお祈りします。
 ねえ、映画ってほんっっっっとに素晴らしいですよ。ありがとね、水野さん。でもあの世ではあんまり『シベ超』人に勧めたらいけませんよ…

 

  

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コメント

出てくると本当に映画が見たくなる人でしたね!
でも一つだけ恨みが・・・。
テストで危機一発とかいて×喰らいました!
本当は危機一髪を水野さんが007でいじってたんですね!
教師の所に映画のポスターのコピーもってって真っ向から喧嘩売った記憶が・・・。
やっぱりこの閉塞した日本では、水野さんの笑顔はいかにも幸せと言った感じで、人々に力を与えていたと思うと残念でなりません。
ご冥福をお祈りします。

投稿: ポニ萌え | 2008.06.12 08:22

ポニ萌えさん、いらっしゃいませ!
誤用といえばそれまででしょうが、それを意図的にやってのけた水野さんは糸井重里など足もとにも及ばない名コピーライターでもあったわけです。
これで映画の解説者と呼べるヒトはもう浜村順さんしか残ってないんですよね。あとは批評家。文句タレと解説は違うものね。

投稿: よろづ屋TOM | 2008.06.15 07:00

はじめまして。
「マカロニ・ウェスタン」と命名したのは水野閣下ではなく、淀川長治さんですよ。

投稿: 名無しの男(モンコ) | 2021.07.19 16:13

名無しの男(モンコ)さん
( ̄д ̄;)おお。ほんまや…なんで勘違いしてたのかな。
ありがとうございます。件の部分は削除致しました。

投稿: よろづ屋TOM | 2021.11.25 03:30

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