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2007.08.14

戦争ドキュメンタリーに思うこと。

 NHKの衛星系では、ここずっと戦争のドキュメンタリーを放送しています。
 いろいろ考えてしまいます。
 

 私らの世代には多いはずですが、今の男の子がガンダムのプラモで育ったように、私らの場合は零戦(戦闘機)だの大和(戦艦)だのキングタイガー(戦車)だのと、要するに第二次世界大戦の兵器のプラモが当たり前のように“カッコイイ”ものの代名詞だったんです。

 幼い頃は単にカッコイイからというだけで遊んでいます。でも凝り性の子供は、長じるにつれて模型をキチンと作りたいが為に、資料を集めたり、それら兵器の成り立ちやらメカニズムにも興味を示しはじめます。
 やがてそこから誕生した理由から戦史を知ることになり、思春期を終える頃になってようやく実はそれらが人殺しをするために作られたことの意味を知るのです。

 そんな私が以前勤めていた会社で慰安旅行で連れて行かれたのがサイパン島。
 正直、行きたくなかった。だって、サイパンがどんなところか、サイパンで何があったのか、従軍した人の手記や戦記で知っていたから。
 私は幸か不幸か霊を見ることはできませんが、当時けっして霊的なものに鈍感ではありませんでしたし、何よりも遊びで島へ行くということ自体、そこで亡くなった人たちに対して申し訳ないという気持ちで一杯でした。

 同じ理由で、沖縄も行くのが怖かった。
 そのころはバブル期で景気が良かったんでしょう、慰安旅行で沖縄にも三回連れて行かれましたが、暑いのが苦手なことも手伝って、ずっとホテルから出ませんでした。

 でも、サイパンへ行ったときは、行ったからには見ておかなければならないと思って、防空壕跡やその近くに遺された戦車などの残骸に訪れました。
 狭い塹壕、弾痕だらけでボロボロの壁。
 その近くでぼうぼうと生える草の中に廃棄されていた小さな戦車。
 ドイツやアメリカの重戦車とは異なり、せいぜい今のレジャービークル程度の大きさしかない。『鉄の棺桶』と呼ばれる、敵の銃弾を跳ね返すことさえできなかった薄い装甲板、馬力のないエンジンで動きも遅い。
 居住性も悪くて、エンジンの熱も中に籠もり、熱帯では半時間と中に居ることもできなかったという日本の戦車。
 図面上で寸法は大体知っていました。しかし、実際に目の当たりにしてみるとウソみたいに小さなサイズだったことにあらためてショックを受けました。
 1センチほどしかない薄い鉄板は、爆発したのか部分部分で穴が開いてめくれあがり、少なくとも誰かが生命を身体を失ったことを思わせます。
 陽射しに灼かれて熱くなっている装甲板に手を触れて、その熱さとあまりの薄さに驚くと共に、この中で殺されるのを待っていた兵士のことを思うとやりきれない気持ちで一杯になりました。

 そしてなにより、どんなに彼らを哀れもうと嘆こうと、結局自分は何食わぬ顔でそのまま日本へ、我が家へ帰って行けることが申し訳なくて、心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」とくり返しながらその場を去りました。

 サイパン、トラックなどの南太平洋の島々、フィリピン、マカオ、インドネシアなどの南方戦線、そして韓国、中国などの大陸戦線で死んでいった兵士、そして心ない兵士のために殺され巻き添えで死んでいった現地の人たちのことを思うと、私は今後アジアでの観光旅行にゆくチャンスがあっても、申し訳なくて、日本人であることが恥ずかしくて、そして日本人のしてきた罪が怖くて行く気がしなかった。

 逆に、サイパンから数年後、やはり見ておくべきだと思い返して、自分で沖縄を、広島を、長崎を
訪れました。沖縄は自転車で50数キロを走り、他の場所も時間が許す限り歩き回りました。
 ひめゆり記念館、摩文仁の丘、原爆ドーム、記念館、浦上天主堂、片足だけの鳥居、そしてそれぞれに残る戦争の傷跡…
 日本人なら、見ておかないといけないものばかりなのです。

 修学旅行が遊園地とかレジャーとか、無意味なものになってきている昨今、これら人類の負の遺産を訪れる学校は減っているのでしょうか。
 だとしたら、若い社会人が戦争が政府の殺戮行事であるということを理解できなくても仕方ないのかも知れません。いや、もしかしたら、そういう意識そのものを失うように政府が文科省を通じて指導しているのかも知れない。戦争を嫌がる思想はない方が支配者にとっては便利だから。
 そういう教育を施されてもう二世代経つのです。
 戦争を理解できない第三世代…今の若者が親の世代になったとき、誰もが平気で第九条廃止に賛同し、やがて徴兵制やむなしという気運になってしまうのかも知れません。
 自分や友人、そして親兄弟や子供が駆り出されて殺され、家族が無惨な死骸になるまで、戦争の悲劇が自分には勿論、誰にでも降りかかるものだとは解らないままに───

 今年の戦争に関する、NHKスペシャルはどれも素晴らしい。
 同じ番組でもいいから、可能な限り多くの人に見て貰いたい。何度も何度も繰り返して放送してもらいたいものです。

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コメント

よろづ屋T0Mさん、こんばんは!トラバありがとうございます~

>日本人なら、見ておかないといけないものばかりなのです。

かなり耳の痛い言葉であります(苦笑)
レジャーや出張や修学旅行以外で、よろづ屋TOMさんのような目的で行ったことがありません・・・。
でもまさしくその通りでしょうね。本物に触れて、自分の目で観てみないと軽々しく語れないことってありますよね。

戦地に対することでは、私も知らずにドキっとすることが多いですね。
例えば沖縄は、よろづ屋TOMさんと同じように、社員旅行でいやいや沖縄に行った友人がいました。彼女は霊感が異常に強いので、空港に降り立ったとたんに具合が悪くなってしまいましたが。
それから、若いときにグアム(昔の人は「ガム島」と言いますよね)に遊びに行くと父に言ったら、あそこは遊びに行くところではないぞと窘められたこともありますし、
数年前に、だんなが友人に錦糸町のマンションを買わないかと誘われて、それをダンナの親に話したら、「あんなところに住んではいけない」と強く反対されました・・・。東京大空襲経験者にとって、あの辺りは遺体留置場のイメージが強すぎるのだとか。

NHKのドキュメンタリーは私も時間が合えばよく観ます。やはり内容が濃いですし、ヘタなドラマや映画より、ずっと心に染み入ります。
昨日の東京裁判のパール判事のドキュメンタリーも興味深かったですね。

投稿: ねこでこ | 2007.08.15 20:15

ねこでこさん、いらっしゃいませ。
こうした話題はどうしても重苦しい気持ちになってしまって、トラバもコメントも送る際には一瞬ためらいをかんじてしまいます。
こころよくコメントもくださってありがとうございました。
パール判事のことも、彼らがまったく無罪、というのは無茶だと思いますが、ケンカ両成敗というスタンスで連合軍側にも問題を突きつけてくれた考え方には共感します。
年に一度くらい、戦争と平和のことを考えてもバチは当たりませんよね。

投稿: よろづ屋TOM | 2007.08.15 20:55

私(おそらくTOMさんも)くらいの世代が、最後の「戦争を語ることができる親に育てられた子供」といえるのかもしれませんね。

私はある程度会話というものが理解できるような年頃になった頃
たぶん小学校の低学年くらいに、父から戦争の話を聞きました。

父は熊本生まれの熊本育ちです。
昭和20年の8月の暑い晴れた日に、明るく晴れた空が何故か蛍光灯が一瞬ぴかりとしたような気がしたというのです。
あれ?なんだったんだろう?と友人と顔を見合わせたものの、そのまま話題にもせず流れていったその日の夕方
新型爆弾が長崎に堕ちたという一報が入ったというのです。
その話を聞いて以来、しばらく晴れた日が怖かったです。
もし、こんなふうに学校の運動場で遊んでいるときに、晴れた空がぴかりとしたらどうしよう・・・
すごく怖かったです。

空襲の話や食料難の話。どれもこれも、リアルでした。
すごく怖い。戦争はイヤ。
でも、戦争の話はもっと聞いておきたいし、知りたいです。
戦争をしてしまったら、もうどちらにも正義も悪も無いと思います。

投稿: ビタミン店長 | 2007.08.17 23:21

店長さん、毎度です。

≫最後の「戦争を語ることができる親に育てられた子供」といえるのかもしれませんね。

そうですねえ、たしかに。父は早くに他界したので彼から話を聞いたことがないのですが、母は灘だったので神戸の空襲で焼き出されたクチです。
伯父のひとりはビルマで戦死、一人は零戦の整備員、叔父は伊号潜水艦の乗組員でしたが、いずれも詳しい話は聞かせて貰えないままです。

実際に戦地へおもむいた人は話すことも厭うのでしょうが、やはり可能な限り伝えていって欲しいと思いますね。お歳を召した方で当時を知っているはずなのに靖国参拝や再軍備化を唱える人ほど、当時はエライさんで後方にいたり、実際の戦争──すなわち殺し合い──を体験していない方が多いようです。

まして今の総理大臣や軍隊のエライさんがそうした事を理解できるはずもなく、自分たちは戦争ゲームの指揮官であって、まさか自分や自分の家族に被害が及ぶとは考えていないことが甘っちょろいし、自分が殺人者になる意味が解らないんですね。
そしてまた、人類は愚行を繰り返してゆくのでしょうねえ…

戦争という言葉をなくして、全部『国家規模交互大量殺人』と呼んだほうが誤解なくていいですね。

投稿: よろづ屋TOM | 2007.08.18 15:01

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