はやりのフレーズはイヤなの、私だけ?
さいきんやたら耳にするっつーか、フト気づくと自分も言いそうになってあわてて口ごもる言葉があります。
「◯◯なのは、自分だけでしょうか?」
ってヤツ。誰かに同意を求めてる体裁の言い方ですけど、実は言い切ってるんでしょうね。たま〜に、「うん、アンタだけやで」って言いたくなる内容の場合もありますけど。
それと、これは流行ってるんでしょうね、
「◯◯がわたしの背中を押してくれた」
っての。でもコレは嫌いです。誰が使い出した比喩かは知りませんが、背中を押されるという行為自体がたまらなく嫌悪感を覚える自分としては、言葉のたとえでも抵抗を感じます。
なにか行動を起こしたいけど迷いがあるとき、方向を指し示してくれるのはありがたいけど、スタートを切るタイミングは自分で決めないとダメでしょう。相撲じゃないけど、気が満ちてないのに踏み出したっていい勝負なんてできないと思う。
スタートタイミングが人任せの陸上競技やカーレースでも、その瞬間に前へグアッ!と踏み出すのは所詮は自分次第。
じっさい、ドンって背中押されても、結局その場で二三歩たたらを踏んでまた立ち止まるじゃないですか。
今よく流れている、大新聞社の“ジャーナリスト宣言”なる広告コピーの
『言葉に救われた。 言葉に背中を押された。言葉に涙を流した。言葉は人を動かす。私たちは信じている、言葉のチカラを。』
──────が、その発信元のこれまでを観ていると
『言葉に足をすくわれた。言葉にイキナリ背中を押された。心ない言葉に涙を流した。言葉は人を煽動する。』
って聴こえるんです。で、シメが『私たちは信じている、言葉のチカラを。』
だから、イカニモおーおー、そうでしょうとも、って。そんなふうにアマノジャクに聴いてしまうのはワタシダケ?
───と、思ってたら。某サイトで同じ新聞社のもうひとつの“ジャーナリスト宣言”の
「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。 それでも私たちは信じている、言葉のチカラを」
の“言葉”
を“◯◯新聞”
で置き換えるとなかなかいい味が出てくる、と書かれていました。あ〜、ワタシダケではなかったよーですね。
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コメント
ここだけの話、映画ブログでもよく見かけます「私だけ?」
読まない事にしています。
そういうふうに聞いてしまう性格って、
アマノジャクじゃなくって、ヒネクレモノと言うんじゃ、、、
うへへへ、、、
投稿: 猫姫少佐現品限り | 2006.11.22 16:44
姫少佐、毎度です!
そっかー、ヒネクレモノね。うんうん、たしかにそうだ。(素直)
でも姫少佐なら、そう聴こえてそうな気がしますけど?
ふっふっふ、あなたには似たマインドを感じますぞ。
投稿: よろ川長TOM | 2006.11.23 01:30