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2006年11月

2006.11.30

ぼったくりX'masケーキ事情

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 街には甚五之兵衛…いや、ジングルベルがなりまくり、デパ地下にはX'masケーキの花盛り。
 世界のパティシェが“美しいデコレーションケーキを学ぶなら、日本へ行け”というだけのことはあって、ほんっとに日本のデコレーションケーキは見ているだけでシアワセになりますね。

 でもねええええええええええ。
 (;´д`;)なに、この異常に高い値段は。

 たった直径15センチ程度のX'masケーキのほとんどが¥2000を軽く超え、¥3600だの¥4000だのがドバドバ並んでるなんて、ナンボなんでも無茶苦茶とちゃいますのん。
 中には1万円をホイッと超えたのもあって。でも大きさといえばこれまた15センチ角だったりして。
 15センチ角なんて。安物のマウスパッドでももうちょっと大きいっすよ。

 いやあ、そんなもんですよなんてアナタ。そんなに簡単に納得しないでくださいよ。この値段、食べ物の値段としては尋常じゃないですよ。同じ値段でちょっとした懐石料理のコースも食べられるほどの金額ですよ。
 たしかに昨今のデコレーションケーキは右を見ても左を見てもそんな値段になってますよ?でもそのケーキからホントにその値段に見合った感動を貰ってますか?
 いまやショートケーキも¥500クラスがあったり前みたいになってしまってますが、実際それだけ出した値打ちがあったか?って自問自答してみると、10回にひとつも感動した覚えがありません。

 なんかここ数年でほんまに急騰したって気がするんですが。
 材料に何使ったらこんな値段になるんでしょう?
 世界的に砂糖が値上がりしてるんですか。
 それともタマゴ?小麦?
 もしかしたら粉に今話題のプラチナ粉でも混ぜてある?
(`д´)g

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 たしかにたいした技術です。マネできませんし、お菓子は料理の工芸品かもしれません。
 ただねえ…
 前々回のフレーズの話じゃないですが「たかが◯◯、されど◯◯」って言い回しもヘンに慣用句化してますけど、コレさえ唱えといたらどんな真性のガラクタや最低のしょーもないものでも「イワシの頭も信心から」的な付加価値をこじつけられそうに思えないでもない。
 または、ブランド化していて値段が高いものは何か解らんままでもとりあえずありがたい、みたいな。

 たしかに出来の善し悪しや消費者側の好みに関係なく、丹誠込めてこしらえたものには魂がこもっているだろうし、愛も満ちているのかもしれない。
 でも、冷静になって現実を鑑みてあらためて見直してみると、売り買いされる商品である以上は結果報酬だから消費して満足するか否かがそれの値打ちの全てだし、やっぱりモノにはそれ相応の値段というのは常にあると思うんですよ。
 まあ、同じ百貨店の中に出店してたりする関係上、組合じゃないけど一件だけ安売りするわけにはいかないのでしょうけど、こうもみな同じ価格帯になるものなんでしょうかね。

 どっかの経済学者がエラソーにのたもーてた話によると、今の流れとしては「1円節約するのに遠くのスーパーまで行くけど、値打ちがあると判断するものにはお金を出す」のだそうで。

 しかし問題はその値打ちが本当にあるのかどうかが怪しいってトコではないかと思うんですけどね。

※なお、この記事に登場する写真はイメージです。文中表現に登場するクリスマスケーキを指すものではありません。

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2006.11.26

ギリギリセーフな出逢い。

 あとひと月で今年は終わってしまうのに
 今年はもう、あなたに逢えないのでしょうか

 去年はあんなに愛したのに
 あんなに幸福な日々を過ごしたのに
 今年は一度もあなたに触れることさえできなかった

 街で一度だけ見かけたけれど
 先を急ぐ私はあなたに声をかけることをしなかった
 どうせまたすぐ逢えるからとたかをくくっていたから
 出逢いの奇跡を軽く考えてしまっていた

 あなたの存在の大切さを解っていたつもりなのに
 あなたがそこにいることが奇跡だと知っていたはずなのに
 来年までもう逢うことさえ叶わないと知ったのは
 季節が早足で過ぎ去ってしまった後だった

 悔やんでも 悔やんでも もうおそい───

 だけど!奇跡は起きました。なんと、職場の近所のスーパーで4個298円!しかもあの黒いほどに紅い紅い、本当の紅玉りんごがてんこもり〜〜!

 ───ゑ?(゚o、゚)

 なんの話かって?あ〜〜〜〜、すみません、すみません。


Applejam


 りんご。筆者が心から愛してやまない、日本が世界に誇る美味なるりんご、紅玉の話です。ずっと以前から大好きなんですが、年中紅玉を楽しむために三年前から毎年ジャムを作ろうと思って、毎年だんだん量が増えてきて、昨年はついにラベルまで作ってヒトサマにも食べて貰うまでになりました。

 が、今年は待てど暮らせど近所へやってこない。そらまー、百貨店とか果実専門店にいけばありますよ。日本の台所大阪でっさかい。
 でもアレは違いますね。贈答用の紅玉は本来のワイルドな酸味が薄い。だいいちデカい紅玉なんて、つるんぺんの紅玉なんて否です。
 第一なんちゅー高い値段でしょーか。一個180円〜!?んなアホな。

 それにしてもいつになったらやってくるねんな…と、昨年書いたこのブログのりんごジャムレシピのページを見ると…げげ。なんと、9月26日!!とおおおっっくに過ぎてる。てか、街はもうクリスマスツリー飾ってるし。

Ringogirl1

 諦められない、諦めるしかない、でも悔しい、いっそ一個180円のを使ってやってみようか…ああ、でもそんなのでジャム作ってもなあ。まあ、食べるだけで辛抱するか…と「もおあかん、今年は諦めた!」と宣言した次の日に見つけたんです。
 どっと5パック20個買い漁ってそのまま職場へ持ち帰ったのが22日。
 で、23日は空き瓶探しに町中うろうろ…やっと見つけたけど、480mLのデカいヤツしかなくて。今年は外人サイズのジャムになってしまった………

 昨年は筆者的には砂糖入れすぎて甘かったんで今年は酸味を活かし、さらに果肉感を残したプレザーブスタイル。開封後の日持ちはしませんが、りんご好きとしては食感はこれくらいないと。
 あ〜〜、でもこれで一安心。無添加純正、紅玉ジャムのストックができました。


 じつわですね。
 一昨年の秋に苗まで買っちゃったんですよ。いや、まだやっと1.5mだし、細いので実はなりそうもありませんが、来年の春からは一輪くらいは花が見られそうなんです。
 紅玉の花をご存じですか?筆者もテレビや園芸書でしか知らないのですが、りんごの花は一重の桜に似たもので、だいたい真っ白。ところが紅玉は眼にもそれとわかるほど濃いピンクのグラデがかかっているらしいのです。

 ハッと気づくとウチには姫りんご、花海棠、アーモンド、花桃…と、りんごの近縁種がやたら増えてました。


Floweratapple

 写真左から花海棠、姫りんご、アーモンド。ね、かーいいでしょ。
 来年の春にはこれに紅玉が加わる…とえーなあ。

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2006.11.25

ぬー某に関するソボクな疑問。

 ぼーじょれ・ぬーぼー、でマスコミがやいのやいのとやかましい毎年今頃なんですが、筆者は不景気突入と共にワインはもっぱらスクリューキャップ、それも場合によっては胴体が紙製のヤツで飲るようになってしまいましたんで、一本が2漱石なんてワインはホントにお見限りになりました。

 で、ちゃんとコルク抜きが必要なガラス瓶のワインをなんとか飲めてた頃でもそうだったんですが、今更ながら王様の耳はパンの耳ってことで言ってしまうと

『ぼーじょれ・ぬーぼー』ってホンマに美味いんですか。

 ってことなんですよ。
 やれ今年はこれまでで最高のデキだとか、フルーティだとか訳知り顔でなにやら鑑識課が現場に残された証拠品を分析しているようなノリでウンチクってたりするじゃないですか。

 でも毎年過去最高の出来だったら、昔のヤツになるほど最低だったって事ですよね?

 同僚の愛守氏は「フルーティって言うけど、葡萄を絞って作るのにフルーティでなくてドースル」と名言のたもーてました。
 
 そらそーね。たしかに魚のだし汁から作ってるのにオレンジジュースの味がする、というなら「そらスゲー」ってもんですが。

 で、筆者は何度か書いたりしてるように“嗅覚過敏”なほど匂いに敏感ですが、ワインの“なんたら香”とかは正直言って「…そおかあ?」って印象しか得られないんですよ。
 花のような香り、とかあっても、トイレの香水で“キンモクセイ”ってのがキンモクセイと似ても似つかないのと同じで、例えそのものにどっかでズレがあるんじゃないかと思わずにいられないのです。

 そらまあ、一本が5漱石とか1諭吉なんて馬鹿高い酒ならば、あるいは「をを!こ、これわ!!!」って思うのかも知れませんが、何かで読んだんですが高度に熟成したワインにはアンモニア香やらジャコウのなんたらみたいな、負のイメージの香りも生まれるそうで、一般人が旨いと感じるボーダーラインも案外キワキワなんだとか。

 ヌーボーにしても、あれは要するにワインの“一番絞り”だから飲み残しは置いていてもダメだとかいいますわね。で、本数が決まってるとか、今年は少ないとか。
 でもワインってどんなワインでもできたては絞りたてのハズだし、だとしたら絞りたてで売れ残って熟成したらフツーのワインってことになるんぢゃないんでショーか。つまり、「今年はたくさん採れたから、こんだけ樽に詰めて、残りはこのまんま売ろう」みたいな。
 ご当地は知らず、日本で売る分にはどーも何か胡散臭いのですわ。

 しかし日本酒や焼酎、はてはビールもそうですが、いろんな銘柄を利き酒される人の感覚ってすごいと思います。筆者は科学的にC2H5-OHなら拒まないほど何でも来いですが、銘柄を当てるとかとなると皆目自信ありません。まあ、よほど飲み慣れたヤツかどうかなら判るかも知れませんが。
 そーいえば座右の書としている酒の本に、その土地に住んで毎日毎日朝昼晩と同じ種類のワインばかり飲んでいると、さすがにその銘柄のデキの微妙な善し悪しが肌で判るようになる、とありましたなあ。
 ただしその記事の末尾に「でも、他のを飲まされて、さあどうだと言われても全然判らない」とも書かれていて、「ははあ、やっぱりそんなもんなんだな」と納得した記憶があります。
 まあ、米の種類と水、炊き方のどれが変わっても違和感を覚えるのと同じなんでしょうね…おっと、あなたパン党ですか。それは失礼しました。

 でも飲用アルコールほど、体調や精神状態で感じる味が変わる飲み物はないと思うんですよ。ビールなんて特に顕著で、家でゴロゴロしていた夜と、ヘトヘトになるまで仕事した日ではまったく違うブランドのよう。紙パックのワインですら、開栓したてと空気に触れさせてからでは味が変わります。で、体調でこれが旨かったり味気なかったりする。

 どうもよく判りません。(;´д`;)奥がフカイというよりフカカイです。

 いや、酒はいつも摩訶不思議です。

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2006.11.22

はやりのフレーズはイヤなの、私だけ?

 さいきんやたら耳にするっつーか、フト気づくと自分も言いそうになってあわてて口ごもる言葉があります。
 

「◯◯なのは、自分だけでしょうか?」

ってヤツ。

 誰かに同意を求めてる体裁の言い方ですけど、実は言い切ってるんでしょうね。たま〜に、「うん、アンタだけやで」って言いたくなる内容の場合もありますけど。

 それと、これは流行ってるんでしょうね、

「◯◯がわたしの背中を押してくれた」

っての。
 でもコレは嫌いです。誰が使い出した比喩かは知りませんが、背中を押されるという行為自体がたまらなく嫌悪感を覚える自分としては、言葉のたとえでも抵抗を感じます。

 なにか行動を起こしたいけど迷いがあるとき、方向を指し示してくれるのはありがたいけど、スタートを切るタイミングは自分で決めないとダメでしょう。相撲じゃないけど、気が満ちてないのに踏み出したっていい勝負なんてできないと思う。
 スタートタイミングが人任せの陸上競技やカーレースでも、その瞬間に前へグアッ!と踏み出すのは所詮は自分次第。
 じっさい、ドンって背中押されても、結局その場で二三歩たたらを踏んでまた立ち止まるじゃないですか。

 今よく流れている、大新聞社の“ジャーナリスト宣言”なる広告コピーの
 

『言葉に救われた。 言葉に背中を押された。言葉に涙を流した。言葉は人を動かす。私たちは信じている、言葉のチカラを。』


──────が、その発信元のこれまでを観ていると
 

『言葉に足をすくわれた。言葉にイキナリ背中を押された。心ない言葉に涙を流した。言葉は人を煽動する。』

って聴こえるんです。で、シメが

『私たちは信じている、言葉のチカラを。』

だから、イカニモおーおー、そうでしょうとも、って。

 そんなふうにアマノジャクに聴いてしまうのはワタシダケ?

 ───と、思ってたら。某サイトで同じ新聞社のもうひとつの“ジャーナリスト宣言”の
 

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。 それでも私たちは信じている、言葉のチカラを」

“言葉”

“◯◯新聞”

で置き換えるとなかなかいい味が出てくる、と書かれていました。

 あ〜、ワタシダケではなかったよーですね。

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2006.11.20

『コンタクト』つい観てしまいましたがな。月曜朝方やのに…

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 この作品、劇場まで足を運んだしTV放映されてるとなぜか必ず観てしまいます。逆に、何度も何度も放送してるのに一度も観られない“縁の薄い”作品ってありませんか?
 筆者の場合『トップガン』がまさにそれで、未だにストーリーすら知りません。

\(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ

 この『コンタクト』原作はカール・セーガン…といってももう亡くなって随分になるので若い方はご存じないかも知れませんが、コーネル大学の教授でNASAのエライさんであり、火星の風景を初めて目の当たりに見せてくれたバイキング計画や木星・土星の素顔を明らかにしたボイジャー計画など、ほとんどの惑星探査計画のリーダーとしても知られているすごいヒトなんですよ。
 で、ご自身科学解説書も多く書かれていて、なかでもご本人が解説者として登場する長編ドキュメンタリー番組『COSMOS(コスモス)』は当時最新のCGを駆使し、論理的科学考証に壮大な夢を加えて一大ブームを巻き起こし、それまでのドキュメンタリー番組をガラリと変えてしまったんです。
 その彼がハード系SFとして書いたのがこの『コンタクト』。ご自身SETI(Search for Extra Terrestrial Intelligence…地球外知的生命体探査)計画の推進者だっただけに、ジョディ・フォスター演じる主人公は女性として描かれてはいましたが、おそらくは彼自身の夢の投影だったに違いないのです。

 あいにく原作は読んでいないのですが、映画自体の壮大なドラマ性はかつてCOSMOSにハマリまくった人たちにしてみれば夢の再来ともいうべきスケールで、『STAR TREK』や『宇宙船ビーグル号の冒険』などに代表される、はるか人類未到の地を目指すコンセプトの物語ならではのワクワク感に満ちています。

 ただ、どうしてもお話としてのもっとも肝心な部分でもあり、回答に手が届く重要な部分がいまひとつ観念的すぎて解りにくく、日本人ほど宗教的にニュートラルに近い民族は世界でも珍しいので根底に流れている“宇宙科学と神学”というテーマがどうも日本人にはつかみにくいのが難点なので、好きな映画ではあるものの『オススメ座シネマ』では取り上げていないというワケなのです。

 とはいえさすがに筆者も観るのが五度目ともなれば、アポロ宇宙船の飛行士のうち何人かが帰還後に宗教家になったとかの話を考え合わせるとなんとなく理解できないでもない…とも思うようになりましたが。

 物語の中で一番好きなシーンは信じられないくらい巨大な三重ジンバル式の空間転移装置?が稼働してゆくところ。宇宙船でもそうですが、どんなに小さかろうともあっさり動いちゃイカンのです。
 写すアングルも大事ですね〜。
 とにかく巨大感を出すには寄ったり離れたりを繰り返して、まるでモデラーが作品を手にとってためつすがめつ調べているくらいのいやらしさでディテールと全体像をなめるように見せないとだめなんです。スターウォーズEpisode4の戦艦がドドドッと出てくるオープニングは有名ですが、劇場で観ればそれなりに見えてもテレビで観たら全然だめなのは、ルーカスにそういう粘着性のセンスが欠けているからなんですね。

 そして一番好きな台詞は、主人公の父親が幼い彼女の「宇宙人っているの?」という質問に対して応えた「判らない。けど、いた方がいい。だって、こんなに広い宇宙に人間だけじゃもったいないだろう?」というもの。

 まさにこれこそがカール・セーガンの考え方であり、ドキュメンタリー『COSMOS』を通じて宇宙に魅了された人々の心に共鳴を生んだ名言だと思うのです。

 「人類は宇宙の孤児ではない」ほんま、戦争とかやってるバヤイとちゃうよ。

 おっと、映画への賛辞ばっかしで、この記事を書こうと思った動機を書き忘れるトコでしたよ。
 放送開始が日曜深夜っつーか、月曜の2時。終わったら4時って…
……(;´д`;)
 朝やんか。なんで面白い映画ほど、ンナ深夜からはじめるかな〜〜〜〜〜。金曜とか土曜とかの深夜、めっっっっっちゃしょーむない番組よーけよーけやってますやん。そっちで放送してえな。

 かとゆーて、録画してまでは観ないんですよねえ。なんでかなあ。
 ほんま、1時間しか寝てへんねんど〜〜〜(;`д´;)死んでまうわ。

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2006.11.17

『富士山麓樽熟50°』の粋なグラス!

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 これには感心した。松竹映画のタイトルバックじゃないですよ。
もうキャンペーンとしては終わってしまったのかも知れませんが、キリンが出しているウイスキー『富士山麓』についていた、いわば“オマケ”のグラスなんです。
 

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2006.11.16

実写版『どろろ』完成だそーです

Dororoposter

 今日、よそのブログさんから届いたトラバにお返ししようと訪問したら、そこの柱に『どろログ』なるけったいなバナーをハケーン。
 また新しいブログサービスかいな、とクリックした先は───
 そやった、そやった。もうずいぶん前に手塚治虫の『どろろ』を実写でヤルという話をヤホーか何かで聞いた記憶がありました。

 (;´-`;)ん〜〜〜〜〜〜〜。できたんか〜〜〜〜。

 百鬼丸がブッキーてのはなんか優しげ過ぎな気がせんでもないけど、それよりも唸るのが主人公“どろろ”を演じる柴崎コウ…
 実は筆者はアニメ版アトム世代でしかもずっと漫画を描く側にいたのに、子供の頃から“神様”手塚治虫と“子供人気No.1”藤子不二雄の絵と台詞廻しが苦手でした。にもかかわらず、この『どろろ』だけは原作を何度も読むほど好きですし、モノクロのアニメは今も脳裏に鮮明に焼き付いています。

 映画が原作をどれだけ踏襲しているのかは現時点では不明ですが、原作のどろろは今でいう戦災孤児で、年齢でいえばたぶん10歳いくかいかないかという描き方でした。
 実は生命について描き続けた手塚先生のこと、きっとこのことに大きな意味があるんだと思うのですが、いくら柴崎コウがオッサン型性格のちょっと破天荒な女性だと知っていても、原作がちらついてしまうんですよね。

 まあ、実写版キャシャーンの時も観始めるまですごく不安だったけど、結果として筆者は大絶賛に値する傑作だと思っていますから、ふたを開けるまでは判りませんが。

 ただ、『キャシャーン』の場合は原案がかのタツノコアニメというだけで、桐谷監督の原作に対する熱い想いを見事なアレンジと創作力に転化してくれたからこそあんな傑作になったのだと思っています。
 つい最近では『キューティーハニー』『最終兵器彼女』や『デビルマン』『ハチクロ』『タッチ』そして制作中の『蟲師』といい、ハリウッドみたいにミョーにコミックを実写映画化する傾向があるし、逆にアニメの生命である声に平気でどシロウトを起用する劇場用アニメとか、不安材料がいっぱいの邦画界。
 (;´д`;)良い方向に行くよりも迷走する可能性の方がはるかにでかそう…

 あとのまつりとはいうものの、百鬼丸はむしろオダギリジョーで、蟲師のギンコこそブッキーのほうが似合うように思うんですが。───なんかキャスティング、けったいなのになりがちなのは事務所がらみとか裏の“政治的”な問題なんでしょうかねえ。

『どろろ』実写版公式サイト

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2006.11.14

ティシューテクノロジーはスゴイ。

 最近、フツーのニュースをやってる時間に帰ってないんで、朝のバタバタ時にチラッと観ている程度なんですが…
 病死した人の臓器を使って移植をしたから、とゆーことで叩かれている外科医の話をやってますねえ。
 せっかくの移植臓器をうっかりゴミに棄てた人もいたし。筆者は自分も含めて、死んでウン10kgもの巨大な生ゴミになるくらいならどーぞ使ってくれ、と思う方なので、リサイクルの最たるものということで死体リサイクル大賛成なんですが、そのモラルとかの話にせよ、要するに他人様のモノだからやりとりもドナーの適合条件を合わせるのも大変なんですよね。

 で、数年前に初めて科学番組で取り上げられたのを筆者が観て以来ずっと期待しているのが『ティッシュ・テクノロジー』または『ティシューテクノロジー』と呼ばれる画期的な方法。
 日本語では“再生医療”と呼ばれる技術で、よーするに自分の身体のバーツを自分を材料にしてスペアをこしらえてしまおうというもの。

 つまり、自分の身体から作り出すので免疫による不適合もなければ、ドナーを待つ必要もないんですね。ぶっちゃけて言えば、ひとつしかない臓器移植が必要な場合は誰かが脳死するのを待つしかないという、心的にもつらい現状を打破できる上に拒否反応のない唯一の手段なのです。
 今のところ実用になっているのは皮膚とか軟骨のような“上もの”だけのようですが、筆者がTVで観たのは臓器。動物実験ではかなりの所まで進んでいるとか。

 ただ、これの元になるのがES細胞って特殊な細胞なんですが、今のところヒトの胚、つまりヒトの形になっていない状態の“ヒトのもと”からとりだすしかないってことで「胚はヒトではないのか」という倫理問題になってたり、今年まだできてもいないのに「完成した」ってウソついたってことで韓国の学者センセイが叩かれてたのも記憶に新しいところ。

 そこで、さっき見つけた記事。ここからさらにひと工夫して一歩進めてゆけば、ES細胞に頼らなくてもいいのでは?という可能性を広げる11月13日付けの朝日新聞ネット版にあった記事。『「種子」を体内に埋め、心臓弁製造 実験成功』
 なんのこっちゃ?と思ったら、ようするにシリコンなどで作った核となるものをあらかじめ体内に埋め込んで、真珠貝のような要領でその核の周りに生体細胞をからませて手っ取り早くパーツ(今回は心臓の弁)をこしらえてしまおうというもの。
 実はこれと似た方法を使って、ES細胞なしでもパーツは作れるぞ、って研究をやってるのが日本なんですと。

 ヒトクローンの成功がそのまんま臓器バンク化する可能性についての倫理問題はいまも世界を飛び交っていますし、清水玲子さんの人気コミック『輝夜姫(かぐやひめ)』やユアン・マクレガー主演の映画『アイランド』もそれをネタにした作品でしたが、このやり方のティシューテクノロジーはそんな悲しい未来の話を根底からひっくり返してしまえるんですね。

 こういう分野も、ガンバレ、ニッポン。(^0^)/

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バカ正直・一本気それともワガママ?

 エライさんを怒らせてしまいました。

 昔からなんですが、筆者は納得のいくことで叱られるのはなんぼでも素直に聞けるのですが、事情を知りもしないで一方的にガミガミ言われるのが耐えられません。
 いや、んなことは誰だってそうなんですよね。まあ筆者もそこまでは我慢しますよ。いちおーエエ歳してるので。でも事情を順を追って説明しようとするのを「口答えするな」のひと言で押さえつけられるともうダメです。

 持ち前のアマノジャクさとか反抗的要素とかよりも、どうも聞く耳を持たないといったタイプにはブチ切れる傾向にあるようで。…と、いってももちろん罵声を浴びせたり怒号が飛び交うなんて下品なマネはしません。
 あくまで冷静に冷静に相手が理解できるようにやんわりと説明をしてゆくんですが、逆に相手の方はどんどん血がのぼってゆくんですね。

 世代論とかステレオタイプ的に人を仕分けするのはナンセンスだと思うんですが、たしかに理屈より感情、体育会系的タテ式命令型サイコー!みたいな方っておられますよね。
 それはしゃーないとしても、いつも思うのは「口答えするな!」って怒鳴る人って、相手が腹の中で納得してないのに表面だけ「はい」って返事をすれば、そんなんでいいのか?ってことなんです。

 相手を屈服させる征服欲が強いのだとしても、仕事をさせたいならものの言い様や説得の仕方ってあると思うんですよ。納得できず、間違ってると思いながらやる仕事がいいものを作れるはずがないし。

 それこそ圧迫された方の腹の中には、不満や反発や、どんどん黒いものが溜まってゆくばかりで、ますます接点を失ってゆくことになると思うんですが…
 筆者はその嘘くささがイヤでイヤで、とにかく互いの考えをまずちゃんと明らかにした上で妥協点を求めたいし、そうするのが相手に対する誠意だと思うんですが、いわゆる“頭ごなし”の人は幼い頃から上の者から有無を言わさずにどやしつけられて育ってきたのか、そして自分がエエ歳になったんで今度は弾圧できる順番が廻って来たと思っているのか、自分たちがイヤだと思ってきた同じことを目下にやってるんですねえ。

 今よく言われる“団塊の世代”なんて、それこそ自分の戦中派のオヤジ達にボロクソ言われつづけて、それに逆らってばっかしの世代だったはずなのに…

 力関係で言えば最終的に出てくる結果が間違っていようとみっともなかろうと、従わざるを得ないんですが、笑われるタネを蒔いてまで征服感を味わいたいものなんですかねえ…

 相手のために意見を述べようとしてるのに、いつのまにかこっちのワガママということにされてたりするし。───で、そこまで言われたらもうドーでも良くなります。笑われるのはあんたやで…好きにしなさい。ってことで。
 でもこれって、やっぱり相手を見捨てることだと思うんですけどね。
 災害とかの緊急時に忠告を聞かず、明らかに危険な方へ行こうとしている人を引き留めるのは自己満足のおせっかいなのか、行かせるのがその人の意思を尊重する寛容さなのか…
 でも筆者はやっぱり、ほっとけない。べつにその人に恨みがあるわけではないから。

 前世がどーだったのか知りませんが、殿様に意見を申し上げて逆鱗に触れ、腹を切ったクチかも知れません。できることなら美輪明宏さんや江原啓之さんに観てもらいたいもんです。

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2006.11.12

ゴーヤはどこまでお好き?

 ハイチュウだのハイソフトだのの沖縄土産バージョンに黒糖味やパイナップル味があるのは知っていたし、貰ったりして食べたことも一度や二度ではないけど、先日三宮の東急ハンズに出掛けて、沖縄モノコーナーでこんなのを見つけました。

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 その名も『カルピス・ゴーヤグヮー』。ぐゎーってのは、ウチナーグチで“小さい”とか“ちょこっと”みたいな意味の接尾語っつーことですが、もうちょっと意味は広そう。

 かの喜納昌吉さんの名曲『ハイサイおじさん』に、♪おーじさん、三合瓶ぐゎー、ぬくとんな?ぬくとら、わんに分きらんな(おっちゃん、三合瓶ぽっちの泡盛、残っとらんか?残っとったら僕に分けてえな)って出てきますな。使い方はいろいろあるようですがいまいち我々ヤマトンチューには掴みにくいようで。

 これ、一本で約4杯ぶんできるミニチュアが三本セットでトランク風手提げボックスに入っていますが、ひとつひとつはちゃんと“飲むヨーグルト”パックの体裁になっているのが楽しいです。で、肝心のお味ですが、なるほどゴーヤの風味があるものの、苦味はありません。色は一見メロンっぽいけれど、よく見るとゴーヤの中心部の少しくすんだ薄緑色です。

 正直言って、ウマイっすよ。普通サイズで売ってたら欲しいと思います。

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2006.11.07

『トンマッコルにようこそ』着眼が良いだけに惜しい。

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 映画に関しては『オススメ座シネマブログ』ってのを書いてるわけですが、あっちはあくまで“オススメ”なので、せっかく観ても「あれ?これはチトちゃうぞ」「うわっ、おっしーな…」って作品に関しては何も書けないんですな。
 …ってことで、これからはそーゆーのも書いてしまおうと思うのです。

 ちゅーても、できるかぎり批判にならずに、んでもってやはり可能な限りネタバレに繋がりにくいように…というのは踏襲しようかと。

 で、『トンマッコルにようこそ』なんですが。
 

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次はきしめんの時代が来るカモ。

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 関西人は昔から「トーキョーのうどんはほんまにおつゆが真っ黒やからビックリするでぇ」というのが関東圏へ出掛けた時の定番経験談のひとつですが、東京に無縁の筆者は未体験だったんです。ぶっちゃけた話「めっちゃ旨いからいっぺん食べてみぃ」ってな話も聞きませんでしたし。
 だけどこの間、たまたま安売りしていたきしめんのうどん玉を母が買ってきてたのが水炊きの具に登場し、数年ぶり…いや、数十年ぶりに日本のパッパデッレ?タリアテッレ?に再会したんですね。

 そしたらパスタ同様、形が違うだけでこんなにも食感が違うのかと目から鱗で。
 そういえば、以前ここで紹介した『アシャ』で食べた『イカスミきしめん』も絶妙だったんです。子供の頃はきしめんもよく食べたはずなんですが、子供のことでそういうのには疎くてきしめん自体には何の思い入れもなかったんですが…
 で、今回たまたまホワイティうめだ(梅田最大の地下街)で麺類を食べようとネットで物色していて見つけたのが今回の『きしめん あまの』
 きしめんなので関東ではなく名古屋。(といってもきしめんの発祥は紀州なんですけどね)

 友人に名古屋の食べ物には否定的な人物がいるのですが、筆者自身は手羽先は勿論、味噌フェチの筆者は味噌カツは大好物だし、味噌と名がつくものはそれだけで食指が動きます。
 だけどとりあえずきしめん目当てでやってきたのだからと、ベーシックな“きしめん”を注文。
 で、出てきたのが写真。いや、たしかに黒い。未体験の筆者は「ダダがらいのでは…!?」とちょこっとビビリましたね。

 だけど最近、醤油や塩のおいしさというか、塩辛いなら辛いなりに産地や作り方による味の違いを楽しめるようになったんで、まずはおつゆからいただくと…

 おお!色からは考えられないくらいスッキリとした、しかししっかりと鰹だしの効いたコクのあるおつゆではありませんか。旨い。
 色のもとはたまり醤油だと知ってはいても、寿司や刺身のタレとしてしか使ってなかったからむしろ初体験。しかもきしめんのモッチリ感がたまりませんし、具が豊か。

 待っている間に壁に貼られた説明を読んでいると、やはり名古屋から大阪へ来られて店を出されたばかりの頃は、見てくれも味も受け入れられなかったそうです。
 それを名古屋ならではの個性を殺さないようにしつつ、味にうるさい大阪人にも受け入れられるだけの工夫に工夫を重ねる修行なさったそうで。
 いわく、大阪は麺は麺、つゆはつゆで個性をぶつけ合うけれど、名古屋のそれは一緒になってタッグを組むことで本領を発揮するのだそうで。なるほど、食べ進むうちに表面積の広いきしめんに少しづつつゆの味がしみ始め、最初ともまた異なった味わいも出てくる。

 結局一滴も残さず完食。てか、残すのがもったいない旨さのつゆなんですね。
 食べているときにレジに立たれた初老のご婦人が「おいしかった〜!わたし名古屋なんですごく嬉しかったですわ」と言い残されてニコニコとお店を出られたのが印象的でした。

 さて、次回は名物『味噌煮込みうどん』をいただくのを楽しみにしましょう。またいいお店を見つけられました。ありがたやありがたや。

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2006.11.05

待ってましたのオトナ買い。

061105_05kinakochoko

 やっちまいました。近所のファミマで見つけるなり反射的にふた箱オトナ買い。
 去年、コレの存在を愛守氏から教わったときにはもうシーズン終わりかけで、まとめ買いしようにももう市場からは枯れ葉が散るように消えてなくなっていって。
 じつは、筆者はガキンチョの時からあまり甘いものには興味がなくて、チロルチョコとかセコイアチョコとかはあったことは知ってましたがまったく無縁だったんですよ。

 しかしこのチョコレートはよく考えてありますね。それで知ったのですが、ほんとにチロルチョコって工夫された商品が多い。パクッとひとくちで食べられるけど、ひとくちで食べてはもったいないほど複雑な構造をしてますし。
9月からの限定だった“黒ごまタルト”Kurogomatarutもウマかったし。

 季節限定ってのも、最初は売れるんだから年中売ればいいのに、と思ったけど、たぶんそんなに規模の大きな工場ではないから生産ラインを固定するわけにも行かないのかな、とか勝手に内情を想像したりして。
 ともあれ、ふた箱あればまあこの冬の間は保つであろー。

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